ロンドン中心部にある「The Old Operating Theatre」というミュージアムへ行ってきた。とある教会の屋根裏部屋にあった薬草室と手術室を展示・紹介する博物館だ。
オリジナルの場所をそのままミュージアムにした、大変貴重な博物館である。つまり、ここでは、18世紀の教会の屋根裏を実際に歩き回る体験ができるのだ。
当時いかに多くのスパイスやハーブが薬として使われていたか、また手術は現在と比べてどのように違ったのか、まだ科学研究が進んでいない時代のトンデモ医療など、さまざまなことを知れてとても面白かった。
今回は、この小さなミュージアムの魅力をこの記事で詳しく紹介していきたい。
教会の屋根裏にあった薬草室と手術室
1106年に建てられた修道院の一部であったセント・トマス病院は、ロンドン最古の病院の1つだ(ちなみに、今でも現役で使われている)。元々は現在のサザーク大聖堂がある場所にあったという。
その中に建てられたのが、セント・トマス教会だ。このミュージアムが入っている現在の建物は1703年に建設された。
この教会の屋根裏には、乾燥させた薬草とそれから作った薬を保管する薬草室、そして医学生が手術を見学できる手術室が1821年に設置された。
1862年に病院が移転すると、この屋根裏は半分解体されたまま、約100年にわたり放置された。1900年代半ばに再発見されたこの場所は、現在はミュージアムとして公開されているというわけだ。
ちなみに、セント・トマスという名前は、イングランドの聖人である聖トマス・ベケットが起源となっている。
元が屋根裏部屋であるため、ミュージアム自体はとても小さい。入口に行くには、極狭の螺旋階段52段を上る必要がある。教会の屋根裏に登っていく感覚を、今でも確かに味わえるのだ。
これは上から撮った螺旋階段の写真。この階段もおそらく当時からあったものなのだろう。いやー狭い。備え付けのロープを掴みながら登り降りすることを推奨する。また、重い荷物を持って行くのは避けよう(実体験からの戒め)。
薬として使われていたさまざまな生き物と薬草
さまざまな生き物の標本再現が展示されているコーナー。当時は薬草と共に生き物の皮や体液、体から抽出した成分も薬として使われていた。
魚介類も同様。例えば、牡蠣は生きたまま腫れた患部にくっつけると毒を吸い取ってくれるとされた。現在では、牡蠣は汚い水をろ過する働きを持っていることで知られているが、それと似た作用(対象は人体だけど)を当時の人も見出していたのだろうか。
亀の甲羅やフグ、ハリセンボンなども見える。
シャモア(カモシカの一種)の革。皮膚にあてる湿布を固定するのに使われたという。
薬草を保存していた教会の屋根裏部屋を再現した一角。こういう場所に惹かれてしまうのはなぜなんだろう……。
物語に出てくる、さまざまな薬を作っている魔女の家のような雰囲気もある。実際は、病に苦しむ人を助けるための叡智が詰まった場所だったのだが。
現在、ハーブティーや、料理に使うスパイス、またアロマセラピーに使われている植物は、元々は効能ある薬草としても使われていたのだ。
17世紀まで、エルダーフラワーは抽出した油を熱して銃創や切断箇所に塗布するのに用いられたという。
バラは歴史の中でその効能が長く用いられてきた植物だ。バラのエキスを混ぜた軟膏は、患部を冷やすために使われた。
なんと寒天まであった。「日本の海藻で、乾燥させてからお湯で茹でて再乾燥させたもの。食材を固める他、下剤としても使われていた」と説明書きがあった。
センナ(下剤として。現在でもセンナ茶は下剤の効能を持つとして販売されている)やラズベリーの葉(うがい薬や子ども用の胃薬として)、パセリ(血液を清めるとされた)など。
さまざまな薬瓶。手前にある植物はケシの実。ケシから抽出される乳液は、患者の気を静めたり眠らせたりするためのアヘンチンキ(鎮痛剤)として、麻酔が発明される1846年以前まで使われていた。
セント・トマス病院では出術後のみに使われたらしい(つまり、手術は麻酔なしで行われていたということだ!)。
19世紀までの医学の片鱗を見る
19世紀は、西洋で医学が大きく発達し、現在まで影響を及ぼす発見や発明がいくつもなされた時代だ。それまでの医学は、迷信的なものであったり、科学的な根拠からは外れたものも多かった。
このミュージアムでは、19世紀までの古い医学と、19世紀からの医学史上重要な発明について知ることができる。
19世紀後半に教育のために使われていた、「Mrs Grieve」と(現代に)名付けられた女性の骨格標本。
研究機関が細密に分析を行ったところ、ヨーロッパ人の女性で身長は161㎝、24~32歳で死亡したことがわかったという。判明した食生活からは、彼女は元々ロンドンにいたわけではなく、海岸沿いの地域に住んでいることが示された。
コルセットの常時着用が原因と思われる狭い胸腔を持ち、また頭蓋骨には、当時多くの売春婦に広まっていた梅毒の症状が出ているという。死因は梅毒かそれ以外のものかは定かではないが、彼女はおそらくヨーロッパのどこか海岸沿いの地域で育ち、ロンドンに来て売春婦として働き、死亡したという説が有力であるそうだ。
死亡後、彼女の遺体は合法的に買い取られ、買い取った会社が処理し、教育用の骨格標本として1884年に販売したことがわかっている。
瘴気説(ミアズマ)
この奇妙な形のマスクは、ヨーロッパで4世紀から19世紀後半まで信じられていた、「瘴気」の説に由来する。当時、腐った有機物から出た瘴気(悪い気)がコレラなどの伝染病の原因だと考えられていたのだ。
このマスクは主に医者が使っていたもので、くちばしの部分に香りのする薬草を詰めると、瘴気から守られると信じられていた。
1880年代に伝染病の原因が細菌であるという説が出てくると、この瘴気説は廃れていった。
四体液説
医療において、病気の診断と治療後の予後予測という概念が確立したのは紀元前9世紀とされる。紀元1220年頃には大学が体系的な医学教育を行うようになったが、それは西洋で長いこと信じられていた「四体液説」を基盤とするものだった。
四体液説とは古代ギリシャに発明された考え方で、人間の体液を血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4種類に分類し、その割合が個人の気質、体質、疾病に大きな影響を与えるというものだ。もちろん、現代の科学医療とはほど遠い。
病気の正確な診断方法は19世紀まで確立されておらず、予後の見立ても患者本人の言い分に依存していたという。
瀉血療法
病気の治療や予防のために血液を抜く瀉血療法も、ヨーロッパでは19世紀までよく行われた。この療法も前述の四体液説をベースとしたもので、血液を抜くことで体液のバランスが整うとされていたのだ。
吸血することで有名な生き物であるヒルを入れるカップ。瀉血には、針で刺して血を出す方法と、ヒルに噛ませて血を出す方法があったらしい。
ヒルは噛む時に血液が凝固しなくなる成分を注入するらしく、噛まれるとその後最大12時間出血が止まらないのだという。ヒルは想像しただけで嫌だな……。
薬屋と薬
薬師は、最低でも紀元前2600年頃からあるとされる古い職業である。16世紀までには、薬業界は特別な教育やギルド制によってより整えられていき、19世紀までには、医師になるには薬師の免許を取ることが必須とされるようになった。
19世紀の医者の持ち運び用の薬箱。持ち主の医師は、これを携帯し患者のいる家や馬車へ往診していたという。
消化器官や咳止めの薬。先ほど紹介したような、さまざまな薬草を調合して作られている。
家庭内での治療や出産
家庭用の薬箱には、さまざまなハーブやスパイス、オイルなどが揃えられた。すり鉢や計測用の瓶など、薬を作るのに必要な道具も一緒に入っている。
家庭で薬を調合するレシピや使い方が載っている本。各家庭では、こうした手引書を参考にしながら、症状に合わせて自分たちで薬を作ったのだろう。すべて完璧に調合された薬を手軽に使い分けられる現代とは大違いだ。
鉛筆やはさみ、小さな容器(?)など、日常的によく使う道具を持ち運ぶための帯飾り。家庭内で家事を担う女性がつけていたとされるが、時代が下るにつれて(おそらく19世紀頃までには)ファッションアイテムになったのだという。
これらの道具は、助産婦が出産を手伝う時に使われたもので、胎児の頭をひっかけて引っ張る用途で使われた。
19世紀の手術用具とヨーロッパ最古の手術室
現存する中でヨーロッパ最古とされる、1821年に作られた手術室。このミュージアムの目玉でもある。観客席が手術台をぐるりと取り囲んでいるのは、当時、医学生が手術を見学する学びの場でもあったからだ。
最上階に作られたのは、日光を最大限に活用するためだ。
これは女性患者用の手術室で、手術室ができる前は患者病棟で手術が行われていたという(他の患者も自分と同じ部屋で手術が行われているところは見たくなかっただろうに…)。
手術台の間近に寄ってみたところ。この部屋が使われていた時代は、まだ消毒剤もなく衛生観念も低かった。また、麻酔薬が発明されて使われるようになったのも、使用され始めてから20年以上経った頃のことであった。時代が違うとはいえ、こんなところで消毒も麻酔もなしに手術はつらい……。
病気や怪我には、切断療法がよく用いられた。手術用ののこぎりやナイフを用い、過度な出血を防ぐため2分以内に完了しなければならなかったという。
頭蓋骨に穴を開ける穿頭術用に使われた道具。当時のセント・トマス病院で行われていた治療法でも、最古の歴史を持つものの1つで、欠けた骨を取り除いたり頭にかかる圧力を和らげるために頭蓋に穴を開けたのだという。
この治療法自体は紀元前7000~5000年からあるとされた。それが19世紀にも行われていたのだから驚きである。
消毒剤の発明
最初の消毒剤が発明されたのが1864年。それまで、消毒という行為は医療の場で行われていなかった。
上記の手術台が実際に使用されていた1822~1862年の間は、手術用具が手術前に洗われることはめったになく、包帯も使い回し、医師が手を洗うのは手術前よりも手術後が多かったという。衛生的にかなりひどい状況だったわけだ。
そのため、手術が成功してもその後に感染症で死ぬ患者が多かった。1860年代に細菌の影響が発見されるまで、傷から起こる感染症は空気に晒されることによって起こり、手術には避けられない過程だとまで考えられていた。
イギリスの医師が1864年に初めて開発した石炭酸は、消毒薬としてスプレーに入れて手術用具や包帯に吹きかけて使われるようになり、1867年には手術患者の死亡率が46%から15%に減少したという。
麻酔薬の発明
麻酔薬は、1846年にエーテルが、1847年にクロロホルムが発明された。それまで、痛み止めとしてはアヘンやアルコールが用いられていたという。
19世紀末~20世紀前半で最も一般的に使われていた麻酔用マスク。麻酔薬を染み込ませたガーゼをマスクに挟み、マスクを患者に装着して麻酔を吸入させていた。
この麻酔薬と、前述の消毒剤の組み合わせにより、この時代に手術環境は大きく変化した。患者の苦痛を和らげ、また感染症にかかる確率も大幅に引き下げられたのだ。
数百年前の建築物の中で、当時の医療に触れられるミュージアム。撮影不可なのでここには載せていないが、臓器や一部人体の標本を展示しているスペースもあった。
こうした分野に興味のある人にはとってもおすすめ。
住所:9a St Thomas St, London SE1 9RY
料金:大人7.5ポンド、子ども4.5ポンド、5歳以下無料
ちなみに、「近代看護教育の母」と呼ばれ、医療の発展に大きく貢献したナイチンゲールは、1859年にセント・トマス病院に看護学校を創設した。彼女にまつわる博物館も、現在のセント・トマス病院の敷地内にある。
詳しくはこちらから。
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