ロンドンから電車で1時間ほど行ったところにある海岸沿いの街ブライトン。イングランドでも人気の観光地で、特に夏には多くの人がビーチを楽しみに訪れる。
このブライトンの街の中央には、シノワズリ(中国趣味)要素満載の王室の宮殿「ロイヤル・パビリオン」がある。
おそらくブライトンの文化施設の中では一番注目度が高く、また訪れる価値のある場所だと思う。先日1泊2日でブライトン旅行をした時にやっと見学できたので、その魅力を写真と共に紹介していきたい。
ジョージ4世の東洋趣味をたっぷり詰め込んだ離宮
このパビリオンのオリジナルの持ち主であるジョージ4世は、放蕩な生活をしていたとして国民の反感を買った王だったが、一方で流行やファッション、芸術を謳歌し支援した人物でもあった。
1783年、まだ摂政王太子だったジョージ4世は、当時新しい健康法であった海水浴を医師から勧められ、海辺の街ブライトンで農園の館を別荘として借りた。王族が別荘地にしたこともあり、ブライトンはリゾート保養地として有名になっていった。
元々小さな館であったこの建物は大幅に増築された。また、ジョージ4世は当時ヨーロッパで流行していたシノワズリも取り入れ、1815~1822年の改修を経て今に残る東洋風のデザインとなった。
西洋の「中国風」デザインが詰まった館
シノワズリとは、17~18世紀にヨーロッパで興った、中国を中心とした東アジアの芸術を解釈、模倣した様式である。
実際の中国の様式をそのまま持ってきたのではなく、西洋人たちの憧れの中にあった「神秘的でエキゾチックな東洋」としての要素が多く見られることが特徴である。
パビリオンに入ってすぐ出てくるのはロング・ギャラリー。その名の通り、細長い空間に多くの工芸品が並べられている。
ギャラリー入口の天井。左右には龍、中央は天使と、東西のモチーフが混合している。
小さくてやや見にくいが、龍または蛇のような生き物が複数絡み合ったデザインの背もたれを持つベンチ。細かなところまで手が込んでいる。
とにかくどこを見ても中国風のオブジェクトが散りばめられている。
狛犬的な置物2体。
2階へ続く階段にも蛇の装飾が。蛇の多い屋敷だ。西洋にも蛇はいるはずだが、東洋的なイメージなのだろうか。確かに中国の人類創造神話には、女媧と伏羲という蛇の体を持つ神々が登場するし、その他東アジア・東南アジアの神話や民話にも蛇が出てくる話は多くある。
豪華絢爛な東西折衷の宴会室は必見
この館で一番の目玉である巨大な宴会室は、全体に東洋風の装飾が散りばめられた空間が広がっている。
美しい卓上のセッティング。調度品や照明はドラゴンや鳳凰などのモチーフで埋め尽くされ、壁には中国の貴族をモチーフとした油絵が描かれている。ゲストを驚嘆させる部屋であったことだろう。
部屋の四隅には鳳凰が舞う。こんな空間、ヨーロッパで見たことない。
中央の巨大なシャンデリアが垂れる天井には、ドラゴンが飛ぶ。
これは東洋的な龍をイメージしたものであったかもしれないが、形としては西洋のドラゴンである。西洋のドラゴンはトカゲに翼をつけたような形状をしており、東洋の龍に翼がなく蛇のような細長い形をしているという違いがあるが、この部屋で見つけたドラゴンたちはすべて前者であった。
中央シャンデリア拡大。照明カバーはおそらく蓮の花をモチーフとしたもの。
花型のライト部分は、それぞれドラゴンの彫刻に支えられている。
中国の貴族を思わせる肖像の数々が壁に描かれている。特定のモデルはいないそうだ。普通なら、こうした王族の館にはその一族の肖像画やキリスト教絵画などがかけられているものだが、この建物では徹底して東洋風を貫いている。
その上の壁には、黒地に金で鳳凰や龍が描かれた豪華絢爛な装飾が見える。2羽の鳳凰の間にいる生き物をよーく見ると、頭が複数ある龍のような生き物がいる。
もしやこれはヤマタノオロチでは? と思い頭の数を数えてみたところ9つだった(ヤマタノオロチは8つ)のでどうやら違うようだが、正体はいったい……。九頭の龍の伝説が中国などにあるのか、または「なんとなくの東洋的モチーフ」なのか。
とにかくドラゴンがたくさんいる部屋である。室内の照明の1つ1つに、このようなドラゴンの金装飾があしらわれている。
一部の壁を飾る、東洋風のモチーフの模様を体に持つドラゴン。筋肉ムキムキでたくましい。蓮の花の上に座っている。東洋の龍ではないものの、東洋の要素が合わさっている。
宴会室と隣接して、巨大なキッチンもあった。ここで料理担当の人々が、主人の宴会を支えるべく働いていたのだ。蒸気熱を利用した、当時としては最先端の技術を備えた、王が誇るキッチンだったという。
ここで100を超える種類の料理が作られ、70種類以上の皿で提供されていたのだ。
宴会室を出たところには、ヤシの木を思わせるデザインの柱が。細かなところまでエキゾチックさが醸し出されている。
美しいサロンと音楽室
オリジナルと同じ状態を復元し、2018年に公開されたばかりのサロンルーム。ゲストを迎え入れる社交的な空間だったのだろう。天井には、青空を思わせる絵と太陽を模したモチーフが施されている。
入口の床には、青と赤で鳳凰が刺繍された見事なカーペットが敷かれている。
この部屋にもさまざまな調度品が飾られていた。狛犬のついた西洋風時計なんて初めて見たぞ! 解説には、この生き物は「麒麟時計」として知られるとあったが、麒麟……には見えないぞ……?
次の音楽室に向かう通路にあった机。家具の脚の部分が人物像になっているものは西洋でよく見るが、ここではその脚部分の人間がちゃんと中国人風になっている。結構シュールだ。
宴会室も息を呑むほどの美しさだったが、個人的にはこの音楽室の方が好きだ。傘を逆さまにしたようなシャンデリア(これも蓮の花モチーフ)がいくつも垂れ下がり、光る花がゆっくりと降ってくるような、幻想的な空間を作り出している。
上方は色鮮やかなステンドグラスに覆われているが、それが目立たないほど、全体が重厚に装飾されている部屋なのだ。この部屋だけで完成までに2年近く要したとされる。
中央の一番大きなシャンデリア。光の反射で天井に映る影まで優美だ。
シャンデリアにもドラゴン。鱗の一枚一枚に至るまで丁寧に作られている彫刻装飾だ。花弁の部分には中国の神々のような人物像が描かれる。シャンデリアだけでも大変な技術と労力が込められている。
大の音楽好きだったジョージ4世は、ゲストを招いて夜にシャンデリアの明かりを灯した状態でコンサートを開いたのだそうだ。
室内にはこのような背の高いパゴダがいくつも置かれていた。
この部屋の装飾を1枚で象徴するような写真が撮れた。蓮の花のシャンデリアにパゴダ。そして壁には柱に巻き付く巨大な蛇のトロンプ・ルイユ(だまし絵)。
さらに、壁面では赤地に金で東洋風の風景を描いた壁画を見ることができる。竹林に松の木、中国の山水画によくあるごつごつとした岩石などに加えて鶴や雉がいる風景で、奥にはパゴダも見える。東洋っぽいものをすべて詰め込みました、というような感じ。
ジョージ4世のプライベートルーム
奥へ進むと、ジョージ4世の私室が登場。図書室兼書斎兼寝室のような感じだ。これは本の詰まった本棚がたくさんある図書スペース。この空間にベッドがあるのだが、元々は図書室とベッドの間には仕切りがあり、ちゃんと分かれていたという。
王の書き物机。フランス製の机に、日本製の漆塗りのパネルを組み合わせたもの。ジョージ4世の東洋趣味ぶりが伝わってくる。この部屋に入れるのは、ごく限られた特別なゲストのみであったという。
2階は寝室になっている
豪華な装飾が施された階段を上って2階へ。階段の装飾も華やかだ。
階段を上っている途中にふと天井を見上げると、なんか漫画っぽい表現の龍(龍なのか?)のような生き物がいた。人間のような顔をしている。
こちらも現代の漫画に出てきそうな顔をした鳳凰。なぜこんな顔にしたのだろうか……笑。
2階には、ジョージ4世以外の王家の寝室がある。これは彼の兄弟の寝室で、黄色の壁に青いベッドが映える空間。
宴会室の貴族画とは対照的に、2階にかけられている絵画は庶民の労働風景を描いたものが多い。これは綿または絹の商店か工房かな?
東インド会社を通じて輸入された1800年代の中国の壁紙を用いた、ヴィクトリア(後の女王)の部屋。ヴィクトリアはジョージ4世の姪にあたり、後に長きにわたり王位につきヴィクトリア朝を築き上げた、イギリス王家の歴史の中でも重要人物の一人だ。
奥には何が……と覗くと、トイレでございました。
トイレの正面には小さな暖炉。そうか、王族はこれで寒い冬のトイレタイムを越していたのか、などと現実的なことを思った。
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予想通り、大変面白い建築物だった。館全体を埋め尽くす東洋風の装飾は、当時も今も目を引くものであることは間違いない。ブライトンに行ったらぜひ立ち寄りたいスポットだ。
住所:4/5 Pavilion Buildings, Brighton BN1 1EE
料金:大人16ポンド、子ども10ポンド 家族割やその他割引あり
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