幅広いジャンルの美術品を展示しているV&A博物館。それぞれテーマに沿った展示室があるが、その中にヨーロッパ史の中でも一級の芸術品を見せる部屋がある。
第1〜7室を占める「Europe 1600 – 1815」は、文字通り1600〜1815年のヨーロッパの芸術品を見せる展示室である。
なぜそんな時代の区切りなのかというと、ヨーロッパ文化に劇的に変化が起きたのがこの時代であったからだ。大航海時代以降、ヨーロッパとアジアや極東との貿易はますます盛んになり、またオランダは独立したことで文化・商業の最盛期「黄金時代」を迎えた。ヨーロッパ全体の人口増加と技術・経済の発展は、18世紀後半の産業革命につながった。
この展示室、7部屋使っているだけあり展示品の数も半端ではない。しかも、どれもこれも一度は見ておきたい素晴らしい品ばかりである。この記事では、前編と後編に分けて、特に感動した作品を厳選して紹介したい。
広い展示室に詰め込まれた珠玉の作品の数々
1800年代までに、高級でラグジュアリーな芸術品や海外から来た品物は、一般の人々が楽しめるものとして浸透していった。もはや特権階級のエリートだけのものではなくなったのだ。受け皿が広くなったことでスタイルはより多様化し、母数が増えることで高品質なものも多く生まれるようになった。
「母なる自然」を擬人化した彫刻。ヨーロッパ人の子ども(左)とアフリカ人の子ども(右)にお乳をあげている女性を表している。この作品が作られた1794年は、フランス政府が植民地での奴隷制廃止を決議した年であった。この「母」は人間の平等を象徴している。
360℃見られるので後ろに回ってみたが、こちらも手を抜いていない作り。たっぷりとした衣服のドレープと、ゴツゴツした木の幹の対比が目を引く。折れた木から、新しい命―新芽が顔を覗かせているのも象徴的だ。
部屋の調度品にしてはかなり巨大な、マイセン製の卓上噴水。中央部分の穴から水が出て受け皿に流れる。
トップに立つのはローマ神話の川と海の神、ネプチューン。足元にイルカ、隣には妻のアムピトリーテーがいる。イルカはちょっとコミカルな奇妙な造形をしているが、ヨーロッパ古代〜近世のイルカの描写はだいたいどれもこんな感じである。
バランスのとれた理想的な人体やどこを切り取っても見事に彫り込まれた細部は、いつまでも見ていられる。
水の受け皿にはシーホース(ギリシャ語ではヒッポカムポス)の姿が。上半身は馬だが、足には水かきを持ち、下半身には魚の尾を持つ。ちなみにシーホースは英語でタツノオトシゴの意味もあり、ヒッポカムポスはタツノオトシゴの学名となっている。
左右端に配された男性像の脇にある壺からも、水の出た跡が見られる(少し茶色くなっている)。
最も外側にある装飾には、蛇のような何かが巻き付いている。体は蛇だが、頭はくちばしがあり白鳥のように見える不思議な生き物だ。
富裕層が買い物に行く時に使用していた椅子かご。棒にこのかごをひっかけ、棒の両端を召使いが持って移動する。日本のお殿様が乗っていた輿(こし)と同じである。
中はごく狭く一人分が座れる程度のスペースしかないが、ビロード張りで心地が良さそうだ。
当時のヨーロッパの通りは汚く道もガタガタしており、とても歩いていて気持ちの良いものではなかったため、自分の靴を汚したくない富裕層はこの椅子かごに乗って快適に移動していたという。
単体でも目を引く室内調度品
ビーズ細工が施された壺。なんだか灯籠のようにも見えるし、ビビッドな色合いも中国風な雰囲気を出しているが、ドイツ製の作品だ。元軍人の雇用先として作られた工房で制作されたという。
近くで見ると、色とりどりのビーズが一粒一粒みっちりと配置されているのがわかる。途方も無い作業量だったことだろう。ところどころ大きめの石をはめ込んでいるのがアクセントになっている。
当時、ヨーロッパの国々は中国や日本など東アジアの国から美術品を大量に輸入していたので、これも中国風に似せて作ろうという意図もあったのかもしれない(私の憶測にすぎないが)。
マザーオブパール(真珠母)で覆われた豪華なキャビネット。見ている時に顔を動かすと、角度によって虹色に光る。作者のピエトロ・ピフェッティはサルデーニャ君主に仕えていたキャビネット職人で、独創的で斬新なデザインを得意とした。
台座部分。美しく輝くマザーオブパールの中央には、金でグリフィンのような生き物が彫られている。解説には「彫刻と家具の中間とも言える作品」とあったが、確かに家具と言い切ってしまうのは気が引けるほどの華美さである。
視界に入った時に思わず二度見してしまった、ユーモラスなデザインの花瓶。鯛のペア(×2)と竹がセットになった陶器の作品だ。鯛の顔が驚いているみたいで面白い。花を生けたら、口から花を突っ込まれてびっくりしているように見えるのでは、と想像してしまった。
金色の台は後にパリで追加されたもの。本体の色合いと、当時のフランスで流行したロココ調の内装をつなぐはたらきをしている。
こちらもマイセン製の華やかな作品。満開の花を多数持つ木の前で、男性が大きな二枚貝の貝殻を運んでいる。
18世紀当時のヨーロッパでは、食べ物を出してもてなす方法に大きな変化が起きたという。より芸術的な、趣向を凝らした皿や道具が次々と生まれ、また衛生観念も向上したことで、一人ずつ食事を提供するための食卓用品も増えていった。
この作品は、花びらと貝殻の部分に小さなお菓子を置いてゲストに提供するためのものだろう。ゲストは家主にこの作品について聞いたり感想を述べたりして、話の種になったに違いない。エキゾチックかつ粋なもてなしである。
どっしりした量感と暗い色を持つ象と、きらびやかで繊細な時計の対比が印象的な作品。
象は、ヨーロッパ美術ではアフリカの象徴としてよく用いられる。時計の上に登っている猿は中国風の服を着ており、人間のような振る舞いをしているのが特徴的だ。傘を持ち、優雅に乗り物に乗って移動する商人のように見える。
このように海外の異なる文化を組み合わせたモチーフは、当時のヨーロッパで好まれた。
洗練された楽器コレクション
メインの展示スペースから少し外れた一角に、ひっそりとした雰囲気の小部屋がある。
壁と天井に鏡が嵌められており、白と金の艶やかな内装をさまざまな角度から映し出す。その豪華な装飾に酔ってしまいそうな、倒錯的な匂いのする間である。
部屋の中央には大きな木製のハープ。ただでさえ美しいこの部屋に、もう使われていないハープがぽつん。たったそれだけなのに何だかすごく耽美で、艶めかしい雰囲気を醸し出している。この展示室ではぜひ味わってほしい空間。
1810年頃まで使用されていた、ピアノに似ている鍵盤楽器。チェンバロにしてはとても小型で、子ども用か、もしくは手の小さな成人が使用していたとされる。
シノワズリ(中国趣味)様式の装飾が金箔を用いて施されている、ラグジュアリーな楽器だ。黒地の部分は一見漆のように見えるが、実は漆を真似た着色だという。
当時の人々は家庭内での楽器演奏を楽しんでおり、富裕層の中にはこのようなチェンバロを持っていた人もいた。異国風のモチーフや斬新なデザインは、家具はもちろん、楽器や日用品にまで導入されたのだ。
これまたデコレーションが盛り盛りの楽器だ。バリトンとは日本で言うユーフォニアムに相当する、ドイツの弦楽器だそうだ。
象牙とべっ甲をふんだんに用いた草花文様の装飾。本体がシンプルなだけにとてもよく目立つ。下部には王と王妃のような人物が表されている。
先端にはギリシャ神話の吟遊詩人、オルフェウスの姿を象った見事な彫刻が。竪琴の名人だという伝説の通り、誇らしく竪琴を鳴らしている。
限られた体の動きで生き生きと演奏している様子を表しており、これ単体でも美術作品として高い質を持つのに、楽器の装飾にしてしまうなんて、なんて贅沢なんだろうか。
技巧が光る細密な絵画とタペストリー
静物画、動物画を得意とした画家の大判の作品。当時、狩った鹿は内臓を抜いてこのように吊るしておいたのだろう。生々しくリアルな狩りの獲物と籠に盛られた色とりどりの果物の、それぞれの質感が高い技術で表現されている。
画面右側には生きている動物も描かれている。興味深げに鹿を観察するオウムと、ブドウを盗もうとしている猿だ。
見ていて気づいた。この猿は描きかけだったのか、上に挙げた右手が透けて後ろの家具が見えている。家具の方を先に描くのか、とか、猿によって隠れてしまう部分の装飾もきちんと細かく描くんだなあ、などと色々考えさせられる。
盗みを働こうとしている猿は、しばしば愚かさの象徴として描かれるという。また、本能や欲望を剥き出しにする人間の野蛮さも象徴しているのかもしれない。人に似た姿かたちと仕草を持ちながら動物の本能を併せ持つ猿は、人間を象徴する存在として美術作品にはよく登場した。
このような静物画、狩猟画についてはこちらの記事もどうぞ。
カラフルでポップな雰囲気のタペストリー。異国の象徴である象がまたもや登場している。周囲では道化たちがパフォーマンスをしており、芸と音楽に溢れた陽気な空間が浮かんでくる。
この道化たちや草花をあしらった文様は古代ローマのグロテスクに着想を得ている。「不気味」の意味のグロテスクの語源となったこのグロテスクという概念は、異様な形態の人物や動物、草花などを組み合わせた装飾文様のことだ。
このタペストリーは現在のグロテスクの意味からはほど遠く、明るく快活な雰囲気を醸し出している。
幼児であるモーゼがファラオの冠を踏みつけている場面を表した作品。ニコラ・プッサンの絵画「ファラオの冠に足を乗せるモーゼ」(↓)を基に制作された巨大なタペストリーだ。
絵画とは左右が反転した構図になっている。
エジプトの王ファラオがヘブライ人の男児を殺害しようとした際、モーゼの両親は生まれたばかりのモーゼの命を助けるため、彼を籠に入れて川に流した。それを偶然ファラオの娘が発見し育てるのだが、成長後にモーゼはファラオと対立する。
この作品では、そんな運命を暗示しているかのように幼いモーゼがファラオの圧政の象徴である冠を踏みつけている。
近くで見てみると、陰影の部分は暗い色の糸を利用して紡いである。こんな緻密な作業、どれほどの時間がかかったことだろうか。元の絵画に劣らぬほど迫力のある作品である。
V&A博物館には、タペストリー専用の常設展示室もある。こちらも無料で大変素晴らしい大判の作品を見られるので、ぜひ立ち寄ってみてほしい。
これ以外にも、まだまだ卓越した質を持つ作品が展示されている。続く後編では、さまざまなテーマの彫刻やゴージャスな素材を使った工芸品を紹介したい。
住所:Cromwell Rd, Knightsbridge, London SW7 2RL
入場無料
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