大英博物館の日本文化展示室を紹介する記事「日本人なら見ておきたい、大英博物館の日本セクション」の続き。ここでは観光客に一番人気のサムライの甲冑と伝統芸能の展示を見てみよう。
※展示されている解説を和訳+自己リサーチして紹介。
サムライの鎧
みんな大好きサムライ。この甲冑の展示にはいつも人が群がっている。集団で甲冑をスケッチする子どもたちなどもよくいる。
1500~1800年代に作られた、もとはバラバラの出自のパーツを組み合わせた甲冑らしい。
1500年代にポルトガルから鉄砲が伝来してから、鉄砲玉を防げるように厚い胸当てが作られるようになった。
刀 宮入昭平 1963年
武士文化の象徴である日本刀。その鍛冶技術を保持するために、現代の刀匠も努力している。これを作った宮入昭平氏は人間国宝。
この刀は故Geoffrey Stephen Hamiltonというイギリスの有名造園家のために作られたもの。
このように緩やかに弧を描くような形に仕上げる、日本刀の大変高い鍛冶技術は、平安後期にはすでに確立していたとされる。日本は立派な刀国家だったのね。
鎖国時代の海外とのかかわり
異人街「長崎唐人屋敷図巻」1700年代
長崎の中国人街の様子を描写した絵巻。中国人との違法な貿易を取り締まるため、幕府は1689年から1859年まで、長崎に外と隔てられた中国人街を作り、中国の商人を隔離した。ここには2000人程度が住んでいたと言われている。
それでも、厳格に監視されていたオランダ商人に比べれば、中国商人は好きなように出入りできていた。中では、この絵に描いてあるとおり、音楽を奏でたり、賭博をしたり、ガーデニングをしたりと好きなように生活できていたようだ。
ここには娼婦と役人しか入ることができなかったとされている。娼婦の権限が割とすごい。
「日本誌」E.ケンペル
ドイツの博物学者、ケンペルが2年の日本滞在で見聞きしたことをまとめた本、「日本誌」の1ページ。
大英博物館のルーム1、「王の図書室」という広い展示室にもこの「日本誌」フランス語バージョンが展示されている。→大英博物館のルーム1「王の図書室」見どころを全部紹介するよ! –「JAPON」と書かれた不思議な『日本誌』のイラスト(1729年)
このイラストでは、江戸の将軍に謁見する東インド会社の西洋人の様子を描いたもの。ケンペルも東インド会社の一員だったので、この場にいたんだろう。中央で立っているのが西洋人。
当時、鎖国時代の日本に入ることを許された西洋人は、オランダの東インド会社の会社員だけだった。
この当時の将軍は、「生類憐みの令」で有名な徳川綱吉。
ちゃんと襖に書いてある絵(松かな?)まで記録してあるのがすごい。
日本から西洋へ輸出した焼き物
西洋の貴族やお金持ちがこぞって東洋からの輸入品を買っていた時代、日本からも西洋へいろいろなものを輸出していた。これはその一部。
柿右衛門様式とは、17世紀に初代酒田柿右衛門が確立した、白磁に赤絵の様式のこと。
どちらかというとこの派手さは中国ぽい、と思うんだけれど、実はこれは中国の有名な磁器どころ、景徳鎮にも影響を与えたという。
日本が発信側だったのか……! 陶磁器に関しては、中国→日本の流れしかないと思い込んでいたので、逆もあったことにびっくり。
西洋から日本へ輸出された時計
逆に、日本が西洋から輸入したものもたくさんある。
これは時計の仕組みを、日本語で解説した本(1796年)。
最初の時計は1550年に輸入された。1800年代半ばまでに西洋時計の技術を日本の職人たちが会得し、日本独自の時計も作られるようになった。
今のようなきっちりとした1日24時間の時間の概念が日本に入ってきたのは、江戸時代だったのだ。そう考えると割と最近だ。
ではそれまで日本ではどうやって時間を把握していたのかというと、「不定時法」というもので、日の出と日の入りを基準として昼と夜をわけ、ぞれぞれを6分割してだいたいの時刻としていたらしい。
その時刻は、干支にちなんだ名前がつけられた。亥の刻、丑の刻などのアレだ。
江戸のような都市では太鼓を鳴らして時刻を告げる時間番みたいな仕事があったらしいが、地方や小さい村では寺の鐘が時計代わりになっていたようだ。
このやり方だと、季節によっても日によっても時間の間隔は違ってくる。
昔の日本式の時計 櫓時計(やぐらどけい)1700年代
これは日本で作られた、漆塗りで螺鈿が施されている背の高い時計。一番上の部分は秤のようになっていて、その重さによって、針の進む速度が変わる。
真ん中文字盤は、上に書いた「昼と夜をそれぞれ6分割したもの」だ。時刻を表す干支が書かれている。これを調整する係がいて、上の秤の重石を調節し、時計の針が進む。
日本が正式に西洋の時間割を採用したのが1873年。それまで、日本ではこういう日本式時計を使ったりして時間を把握していた。
側面には螺鈿で詩や絵が施されている。
伝統芸能
能と舞楽
右の2つは能に使われるお面。能は1300年代から、神社や寺で行われてきた。
赤い面は、猿の妖怪である猩々(しょうじょう)のお面。人間に見えるのだが……。日本では猿に似た架空の動物とされているが、古代中国の文献では豚に似ているとか、犬に似ているとか、外見の言い伝えは様々らしい。
能では、猩々がお酒を飲んで酔って踊る場面を演じる。
舞楽は、雅楽と舞踊を合わせた日本の伝統芸能だ。舞楽の舞踊は能の踊りと似ている。
舞楽の「蘭陵王」という禍々しいお面は、何かの妖怪だと思っていたのだが、歴史上実在した人物らしい。人間なのか……。6世紀の中国の皇族で、美男子でありながら勇猛な軍師で、人に慕われたようだ。
美男子……?(真顔)
ならもっと美男子のお面にしてあげればいいのに……。と思っていたが、その美貌をどう猛な仮面に隠して戦に勝ったという逸話があるようで、この恐ろし気な仮面はそこから来ているという。
俳優三十六花撰 歌川国貞 1835年
歌舞伎俳優画集。
1833年にデビューした、まだ若い八代目市川團十郎の登場を祝って作られた本とされる。市川團十郎は右、薬売りに扮して描かれている。
このカラーバージョンの少し前に出版された モノクロームバージョンもあるらしい。
これで、大英博物館日本展示室の見どころ紹介は終わり。
この展示室には、日本政府、在英日本大使館をはじめ、日本の企業も複数スポンサーとして貢献している。
住友とか東芝とか、なじみのある社名が見えますね。あと真ん中あたりにあるSainsburyというのは、イギリスの大手チェーンスーパーの会社で、大英博物館にも専用の展示室を持っているくらい、文化保存には熱心な企業。
企業の社会貢献(世界貢献?)というのはこんなところでも役立てられているんだな、としみじみ。
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