19世紀イギリスの子どもたちはどう生きていたか – 絵画で見る教育・貧困・労働

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ロンドンにあるギルドホールギャラリーで開催中の、ヴィクトリア朝の子どもたちの生活を絵画で見せる「Seen and Heard: Victorian Children in the Frame」展(〜2019年4月28日まで)に行ってきた。

1800年代のイギリスにおける、美しい子どもたちを生き生きと描き出した作品から、残酷な現実を捉えた心に突き刺さるものまで、当時の様子が伺える絵画を数多く見ることができた。

この記事では、当時の社会の子どもに対する扱いの変化も追いながら、特に見応えのある作品を紹介していく。

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富裕層の子どもたち

イギリスは階級社会である、というのはよく知られているだろう。1800年より前は、子どもが描かれる絵画作品は上流階級のフォーマルな家族の肖像に限られた。当時は「子どもは小さい大人」という扱いであった。

1800年代前半までに、「子ども時代は人生の中でも特別な時期であり、子どもは守られるべき存在である」とみなされるようになっていった。

そして絵画でも、子ども単体を主題とした作品が制作されるようになる。大人の服装を真似るなど、大人の模倣ではなく「子どもらしさ」が描かれるようになったのだ。

マーティン・アーチャー・シー「The artist’s son」1820年

ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立芸術院)の学長であり、自身も肖像画家であった作者が、自分の末息子(10歳)を描いたものだ。

バーガンディー色の襟付きの上品な服をまといゆったりとしたポーズをとるこの少年は、顔色もよく目が輝き、きちんとした家庭ですくすくと育っている様が伺える。

学校教育を受けられる子どもは限られていた

子どもたちは労働力として工場や街中で働くのが普通であった。1830年代には、労働時間にプラスして2時間の授業を提供する工場併設の学校が作られた。

1851年当時、イギリスで学校に行っている子どもは50%未満だった。学校教育は有料で、子どもが学校に行けるかどうかは家庭が費用を捻出できるか、また土地、性別、宗教、社会的つながりなど多くの要因に依っていた。

学校にもさまざまな種類があり、貧困層のために安い費用で基本的な文の読み方を教える「Ragged school」、女性教師が基本的な読み書きと算数を教える「Dame school」などがあった。また教会や福祉団体によって運営される学校もあり、その場合はより質の高い教育が受けられたが、この学校がある場所は限られていた。

トーマス・ウェブスター「A Dame’s school」1845年 ©️tate

これはDame schoolの様子を描いたもの。左端では女性教師が読み物を持って授業をしているが、子どもたちは飽きているし、友達と遊んでいる子も見られる。クラスとしての統率はとれていないようだ。

Dame schoolは、女性が教師だということへの偏見、またこの絵に見られるようにあまりきちんとした授業ができていないことから、評判は良くなかったという。

11歳以上になっても教育を受けられるのは、上流階級または中流階級の家庭の子どもたちだった。

1870年まで、自治体や政府が提供する教育機関というものは存在しなかった。1880年には5〜10歳までの子どもが学校に行くことが法律で定められたが、親たちは労働力が必要だとしてこの法律に反対した。学校教育が無料になったのは1891年のことだった。

子どもらしい生活

子どもたちが遊ぶ姿は、その可愛らしさ、快活さなどを表す格好の題材として好まれた。遊びは「子どもらしさ」の象徴でもある。

マイルズ・バーケット・フォスター「The swing」1865年頃

男女混合で遊ぶ子どもたち。女の子が枝によじ登るという大胆さを描いているのは、当時の「女性は男性よりも非活発なものだ」という見方への皮肉のようだ。

ジョージ・バーナード・オニール「Gran’s treasures」1866年 ©️City of London

おばあさんから宝物の貴金属を見せてもらう幼い姉妹。宝物に秘められた物語を話して聞かせているのだろうか。少女たちは興味津々だ。いつか、これを受け継ぐ日が来るのかもしれない。

柔らかな光が降り注ぐ、平和な一コマ。

 

さて、これまで見てきたのは、かなり恵まれた階層に属する子たちだ。家族がいて、生活には困らず、教育も受けられる。そうでない子どもたちも多くいた。

次は、そうでない方の「もう1つの現実」を見ていこう。

貧困に生きる子どもたち

数少ない富裕層の下には「貧困の子どもたち」が多数おり、その姿を描こうとした画家もいた。しかし、あまりにリアルに描きすぎると、富裕層の家に飾るのはためらわれる(絵を注文するのは当然富裕層に限られるからだ)ため、より「絵になる」ように画家たちは試行錯誤した。

トーマス・ベンジャミン・ケニントン「孤児」1885年

幼い兄弟を描いた作品。手前の皿にはパンの欠片が残っている。残しておいている最後の一欠片なのか、もう食べる気力すらないのか。

2人の体は華奢で、着ている服もボロボロだが、顔は割と血色もよく、綺麗に描かれている。理想化、または「絵になる」ように表現されているのだろう。
少年の訴えかけるような視線は、見る者の共感や同情を引き起こす。

多くの子どもは見放され、過酷な生活をしていた

この時代、ほとんどの子どもたちは貧困であった。都市部には、5〜6歳という年齢から重労働を課せられ、住む家もなく、栄養不足で、大人や社会から見捨てられた子どもたちが数多く暮らしていた。

ウィリアム・フリス「The Crossing Sweeper」1858年 

富裕層と貧困層の対比が強烈に現れた作品。「掃除夫(Crossing Sweeper)」である少年は、靴すら履いておらず、その服は汚れにまみれている。女性の掃除の依頼、または支払いを待っているようだ。

上質な服を着た女性は、それに気づいていない。または何か他に気を引くものがあるのかもしれない。色白で上品な顔をしており、自分の服の裾が汚れないように手でたくしあげている。

当時、掃除夫として働く子どもたちは多くいた。都市部の道は馬車が多く通るため、埃が舞い、また馬の糞も至る所に落ちている大変汚い環境だった。

ウィリアム・マクダフ「Shaftsbury, Lost and Found」1862年

靴磨きの少年と浮浪児が、版画販売店のディスプレイを指差して何か話している。靴磨きの少年(右側)は「London Shoeblack Brigade」という組織の制服を着ている。この組織は第7代シャフツベリ伯爵が作った、浮浪児たちに靴磨きの職と住処を提供するものであった。

靴磨きやレンガ掃除をする子どもたちは、そのあまりの若さから下等に扱われ、また不良や犯罪の道に足を踏み入れてしまいやすい環境にあった。そうした子どもたちに制服や道具を与え、稼ぐ術を教え、屋根を提供したのが、このシャフツベリ伯爵だった。

この少年は、版画屋の窓にかけられたシャフツベリ伯爵の肖像画を指差して、もう一人の少年に何かを語っている。自分が伯爵に助けられたことを語っているのか、浮浪児に組織に入るように勧めているのか、そんなところかもしれない。

アウグストゥス・エドウィン・マルレディ「A Crossing Sweeper and Flower Girl」1884年

掃除夫の少年と、花売りの少女のペアを描いた作品。場面はロンドンのblackfriars周辺だという。彼らの背後に見えるのはテムズ川である。

作品の裏側には「花売りの少女と家無しの少年はお互いに助け合っている。光と影のような対照的な二人だ」と刻まれている。色とりどりの花を売る可憐な少女と汚れてみすぼらしい少年の対比ということだろうが、過酷な環境下で必死で生きているこの二人は、どちらも社会の「影」である。彼らの未来に光はあっただろうか。

アウグストゥス・エドウィン・マルレディ「Remembering joys that have passed away」1873年

1つ前の作品と同じ画家の作品。

掃除夫の少年とマッチ売りの少女が、劇場の外に貼ってあるパントマイムショーのポスターを眺めている。このような娯楽を楽しめるような、「子どもらしい」幸せで快活な生活は、もう彼らにはない。

少年に比べ、少女は小綺麗で暖かそうな服装をしている。少女がこの状況に陥ったのは最近のことなのかもしれない。

「過ぎ去ってしまった喜びを思う」というタイトルが示すように、彼らはおそらく、以前はこうしたショーにも行ったことがあるような、良い暮らしをしていた子ども達なのだ。それがどのような理由か、こうした状態に陥ってしまった。

画面右側、柱の側には娼婦の姿がかすかに見える。彼らのいるこのエリアは、当時最悪のスラム街と言われていた場所で、多くの娼婦が活動していた。

後ろの女性たちは、この少女が成長した時の姿を暗示しているのかもしれない。

愛らしい理想の少女たち

上記の作品群を展示している部屋を抜けるともう1つ展示室があり、そこでは大変愛らしく理想的とも言える少女たちを見ることができた。

ウィリアム・フリス「The sweetest beggar That E’er asked for alms」1892年

施し物を乞う、物乞いの少女。何かください、というようにタンバリンを差し出している。

ふっくらとした頰に、柔らかな笑みをたたえたその顔は大変愛らしい。身なりも綺麗で、物乞いだと言われなければ、まるで理想の(庶民の)少女を描いた肖像画のようである。

フレデリック・レイトン「音楽のけいこ」1877年

年上の女性から、サズというトルコの楽器の手ほどきを受ける少女。二人が座っているのはイスラム教モスクの入口だ。作者のレイトンはイスラム教建築に魅了されていた。

幼い少女のモデルになったConnie Gilchristは、美術モデルとして4歳から活動し、またロンドンの劇場でも人気者となったスターである。

光る髪の一本一本まで描き出すような細密さと、豪奢な衣装や柔らかな肌に表れる優美さが合わさり、実物はハッとするような美しさを持っている。

ジョージ・ダンロップ・レスリー「Sun and Moonflowers」1889年

夏の日差しが部屋にこぼれ落ちるような、のどかな昼下がりを思わせる作品。美しいドレスを纏う若い女性が二人で、ひまわりを生けている。

画家は、「今の時代の功利主義的で悲惨な、重労働だらけの生活の中の、明るい側面を切り取った作品を描きたかった」とこの絵の目的を説明したと言われる。無垢、喜び、美しさ。陰鬱な社会にそうしたものを作り出したかったのだろう。

タイトルのMoonflowersは、画家がモデルの少女たちにつけた呼称であるという。ちなみに、Sunflowerはひまわりのことだ。


ギルドホール・ギャラリー「Seen and Heard: Victorian Children in the Frame

住所:Guildhall Yard, London EC2V 5AE

料金:8ポンド

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