イギリス郵便制度の歴史と革命を見るロンドンの「郵便博物館」が面白い

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イギリスの郵便事業は、「ロイヤルメール(Royal mail)」という企業が担っている。以前は政府が管轄する郵政省だったが、1969年に法人化し、現在は民営企業として経営されている。日本の日本郵政と似たようなものだ。

日々お世話になっているロイヤルメールだが、ロンドンに郵便博物館(The postal museum)なるものがあることを知った。なんとこの博物館、100年前にできた古いトンネルを滑車に乗って通り抜ける「Ride Mail Rail」というアトラクションも体験できるのだ。

今回は展示のみを見学したが、ロイヤルメールの長い歴史は大変面白いものだった。

500年に及ぶ歴史の中で、「手紙を遠方へ届ける」という行為は時に命がけで、過酷で、大変なことだった。それを今のような状態にしたのは、先人が試行錯誤し、素晴らしい発明をしてきたからなのだった。

今回の記事では、その展示を元に、イギリスでの郵便を巡る歴史を紹介したい。

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イギリス郵便制度の誕生は約500年前

ロイヤルメールが誕生したのは約500年前、ヘンリー8世の治世(1509〜1547年)である。彼は自分の書簡を遠方に届けるために、Royal mail(王家の郵便)を1516年に作ったのだった。

イギリス史全体についてのシリーズ、ヘンリー8世の時代についてはこちらの記事をどうぞ。

博物館展示からロンドン史を見る⑥近世(前編)イングランドの宗教改革
Museum of London(ロンドン博物館)の展示をもとに、ロンドンの歴史を物語のように解説するシリーズ。本シリーズのこれまでの記事はこちら。前回の記事「博物館展示からロンドン史を見る⑤(中世後編)ペストの発生と医療、食文化」で、10

これは王のためだけのサービスであった。各町には郵便配達用の馬を最低3頭ずつ配備させ、王家の手紙やお触れ、ニュースを配達させた。この馬を買っておく小屋は「ポスト」と呼ばれた。ポストの原型はここで誕生したのだ。

王以外の人々は、必要な場合、公共ではないプライベートな郵便配達を、国内・国際便で利用していた。
時が経ち、1635年、時の王チャールズ1世が一般人も郵便配達を利用できるようにした。とはいえ、どのみち費用は高かったので、利用できたのは富裕層のみである。

サミュエル・ピープス宛の手紙 1665年

世界初の消印(左上の黒い円形のマーク)が押された手紙。投函された日付がわかるようになっている。消印制度は配達の遅延を防ぐために1661年に導入されたが、実際の利用までには数年かかったようだ。

1660年には郵政省が設立され、1670年までにロンドンから伸びる6本の国立の郵便配達用道路が整備された。

郵便配達人は過酷な仕事だった

ウィリアム・フレデリック・ウィザリントン「村の郵便局」1853年

小さな村の郵便局の様子。配達人の若い少年は、配達物を持ってちょうど村に着いたところのようだ。押し寄せる人々に荷物や手紙を手渡している。

当時は、14歳くらいの若い少年が配達人となるのは珍しくなかった。何時間、もしかしたら時には何日も馬の背にまたがり続け、悪天候に耐え、道中強盗に襲われる可能性もあった。

ピストル 1834〜1843年

大人の配達人には、郵便局から拳銃が配られた。夜道の危険を回避し、重要な書簡を守るためである。郵便配達人は危険と隣り合わせの職業だったのだ。

また、国際便では船便が使われることも多かったが、そうした船は海賊に頻繁に襲われたという。その際も、乗務員は重要な手紙を守らなければならなかった。

逃げられるところに逃げよ。
それ以上逃げられない場合は戦え。
戦うのにも限界がきたら、
手紙は海に沈めよ。

これが、船の乗務員に課せられた命令であった。

郵便馬車(メールコーチ)の登場

1700年代後半には、より効率のよい郵便配達のため、郵便馬車のサービスが登場した。

メールコーチ(郵便配達用の馬車)1800年頃

この車両は車輪が外れている。左側の黒い椅子に配達人が座り、その足元の鍵のかかった箱に重要な郵便物を保管した。

この馬車を使う配達人は「mail coach guard(メールコーチ・ガード)」と呼ばれた。

ガードはコーチでの配達の際、必ず時間のわかる時計を車内に持ち込んだ。スケジュール通りの配達を行うことが求められていたからだ。

これが配達のスケジュール記録表。ガードは各郵便局に停まるたびに、その時間を記録した。

メールコーチ・ガードの一人である男性の肖像画。当時のガードの服装や佇まいがわかる。55年郵便局に勤め上げ、退職の際に本人に渡された贈り物だという。当時、肖像画を授与されることは珍しく、名誉ある一枚として扱われたに違いない。

馬車に乗るとはいえ、やはり過酷な仕事であることに変わりはない。ずっと同じ姿勢で馬車を操り、また天候が悪くても吹きさらしである。そして何より重要なこととして、あらゆることから郵便物を守らなければならないのだ。

そして時には、恐ろしい動物と遭遇することさえあった。

1816年、郵便馬車に起きた驚きの出来事を知らせる記録。ある馬車が、配達の道中に雌ライオンと遭遇してしまった。

ライオンは馬車を追いかけ、馬車を駐める宿に着いた際、馬のうちの一頭に噛み付いたという。ガードであった男性は郵便物を守ることが第一の使命である。ライオンに立ち向かおうと銃を構えたが、宿の客であった一人の男性がそれを止めた。

その男性は巡業動物園のオーナーで、ライオンは彼のものだというのだ。彼が猟犬をけしかけると、ライオンは隠れてしまったという。そういうわけで、大事にいたることなくライオンは保護(捕獲)された。

動物園オーナーの男性は噛まれた馬も購入し、動物園でその馬とライオン、そして犬を一緒に見世物にしたという。

イギリス中をつなげた馬車サービス

多くの郵便物を一度に遠距離に運べるようになり、強盗も振り切ることができるなど、馬車を導入したメリットは大きかった。1800年代初期までに新たに郵便馬車用の道路が整備され、配達サービスはますます利便性を増した。

この新しい郵便馬車ネットワークは、ビジネスが成長するのを助け、産業革命が広がる一助となった。人々は運ばれてくる新聞でより幅広い情報を得られるようになり、また手紙の返事を確実に手にすることができるようになった。

1800年代、郵便制度は大発展を遂げた

利便性が高くなったとはいえ、1800年代でもまだ、一般庶民にとっては郵便は高価なものであった。かかる費用は手紙の枚数や距離が多くなればなるほど高くなった。そのため人々は少しでも費用を抑えようと、さまざまな工夫を凝らした。

手紙 1815年

異なる方向に交差して文章が書かれた手紙。読みにくいが、枚数を増やさないようにする苦肉の策であろう。大変人間味があっていい。これを書いた人も、まさか200年後に公に展示されることになるとは思いもよらなかったのではないか。

また、当時郵便配達の費用を払うのは、手紙を送る側ではなく受け取る側であった。そのため、送る側は封筒にメッセージを隠し、受け取った側はそれをさっと読んでから「これは受け取らない」と料金を払わずに配達人に返す、というトリックも行われていたという。

人々がどうにかコストを抑えようとこうした試行錯誤をしている一方、1830年代は国会議員は郵便サービスの利用は無料であったという。

小さな紙切れ「切手」の発明が世界を変えた

そんな貧富の差が郵便事情を左右する状況であったが、それを打開する画期的な発明品が登場する。そう、切手である。この小さな紙切れが、郵便制度の重要性を現在にいたるまで永遠に変えたのだ。

ローランド・ヒルという教師兼発明家が、1837年に画一料金で、前払いの切手のアイデアを提唱した。

1840年、ロイヤルメールは世界で初めての切手を印刷、発行した。

「ペニー・ブラック」切手シート 1840年

それがこの「ペニー・ブラック」と呼ばれた白黒の切手だ。1枚1ペニー(当時は1/240ポンド、現在は1/100ポンド)で、重量半オンス(約14g)以下の郵便物はこれ1枚ですべて配達することができるようになった。それより重いものは料金が上がっていくが、なんにせよそれまでよりずっと安価に郵便を使えるようになったのだ。

切手の導入と同時に、国会議員への優遇も終わりを告げた。誰でも平等に、同じ金額で郵便サービスにアクセスできるようになったのだ。

また、配達人は一人一人から料金を徴収するのに時間を割かなくてもよくなった。

この簡易で明快なシステムの導入により、手紙は仕事でもプライベートでも、最も利用されるコミュニケーション手段となったのである。

電報でリアルタイムの「手紙」が可能に

イギリスでは1840年代に電報網が整備され、1870年代にはロイヤルメールがそのシステムを握った。

電報用の機器

どんな交通手段よりも早く内容を伝達できることから、その人気と需要はどんどん高まっていった。1900年までに、イギリスは電報利用NO.1の国となった。その利便性と迅速さは、現在のメールが登場した時と同じようなインパクトだったに違いない。

発達する配達手段

1830年代から整備されだした鉄道により、郵便物はさらに効率的に鉄道で移動できるようになった。さらに車、1900年代になると飛行機が登場し、郵便配達手段は今日のようになっていったのである。

ちなみに、あの映画にもなった伝説の旅客船「タイタニック号」は、郵便船でもあった。ロイヤルメールと契約しており、正式名称は「RMS(Royal Mail Ship)Titanic」である。1912年、氷山に追突するあの日には3000通もの郵便物を乗せていたという。

郵便保管室のスタッフたちは、浸水してきたことに気づくと上方のデッキへ郵便物を移動させたという。当時の客室乗務員がその光景を振り返った言葉も展示されていた。

彼らに逃げるように行ったんだ。でも彼らは首を振って作業をやめなかった。あの後入ってきた水で逃げ道はなくなってしまったか、それか爆発が起きたのかもしれない。その後彼らの姿を見ることはなかったよ。

モーリス製 マイナーバン 1935年

車の話に戻ろう。1904年に、ロイヤルメールは最初の自動車を導入した。写真は郵便局用にデザインされたバン。馬車の頃からデザインは一貫しているように見える。

車が登場してもしばらく、第二次世界大戦直後までは、郵便馬車がよく使われていたという。

おまけ:代々「猫局長」がいた!

ロイヤルメールの本局は、1868年から1984年までの約150年間、ネズミ捕りのために猫を正式に採用(?)していたという。

一番人気だった猫は、1950年に生まれたTibsという名の猫で、10kgもある巨大猫だったという。14年の生涯の間で、勤勉に働き、ネズミのいない職場環境に貢献したということである。

イギリスでは現在進行形で(やはりネズミ対策に)国会でも猫を採用し続けているところをみると、割と伝統的な慣習? のようだ。

猫局長は今はもういなくなってしまったが、ロイヤルメールは2017年よりオンラインでキャンペーン用の猫コンテストを開き、毎月そのうち一匹を(架空のネズミ捕り係に)指名しているという。これは2018年のウイナーたち。どの猫も個性があるが、大変毛並みがよく美しい。

というわけで、郵便制度の発展の歴史はなかなか面白い。ロンドン中心部にあるので、観光のついでに立ち寄ってみるのもいいだろう。


郵便博物館

住所:15-20 Phoenix Pl, London WC1X 0DA

料金(アトラクション+展示):25歳以上……17ポンド、16〜24歳……12ポンド、3〜15歳……10ポンド

※事前オンライン予約だと1ポンド引き。また展示のみのチケットも館内で販売している。

この博物館で見た特別展のレポートはこちら。

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