博物館展示からロンドン史を見る①旧石器時代~古代ロンディニウム編

【シリーズ】博物館展示からロンドン史を見る
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博物館の展示をもとに、イギリスの歴史を解説してみようシリーズ第1弾。

続編も含めたこのシリーズ全体の目次はこちら。

イギリスの歴史をわかりやすく解説する記事一覧まとめ
博物館の展示からロンドンの歴史を学ぼうシリーズ(随時更新中!)Museum of London(ロンドン博物館)の展示品をもとに、ロンドンの歴史を物語のように(なるべく)わかりやすく解説するシリーズ。旧石器時代~古代中世近世その他イギリス史
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Museum of London(ロンドン博物館)の常設展示

ロンドン中心部にあるMuseum of London(ロンドン博物館)は、ロンドンの歴史に特化した大規模な展示を行う博物館である。

常設展は無料。古代から現代にいたるまでのロンドンについて、時系列順に詳しく説明していて大変興味深い。

ここでの展示品をもとに、この記事ではまず、人間が住み着き始めた頃のロンドン、また古代ローマ人の作った居住地「ロンディニウム」について解説していきたい。

ややこしいロンドン史、というかイングランド史なので、物語を読むような感覚で歴史を解説していくシリーズにしていきたいと思う。

入口付近にはこんな現代アートが。撮影スポットにもなっているようだ。

常設展示入口。「ロンドンになる前のロンドン」。旧石器時代から展示は始まる。

旧石器時代~新石器時代:テムズ川沿いに人間が集まる

©ChrisO

約50万年前、現在のロンドンにあたるテムズ川沿いのエリアでは、最初に狩人、そして徐々に採集者、農民たちのコミュニティが広がっていった。

古い文明が生まれる鉄則だが、「川のあるところに文化ができる」のである。なぜなら、水は生物にとって不可欠で、人間はより川の近くに住みたがった。そして水が豊かな環境では、魚や動物、植物などの食物も豊富であった。

特に、地球上に40万年前から現れたとされるネアンデルタール人は、イングランドの寒冷な気候への耐性が強く、その数を増やしていった。

人間よりも大きいバイソンの角。ネアンデルタール人の狩人は集団でバイソンを狩って毛皮や肉をとっていた。

24万5000~18万6000年前のライオンの頭骨

当時、マンモスやサイ、馬などの草食動物、ライオン、ハイエナ、狼などの肉食動物など、あらゆる動物が陸上を闊歩していた。気候の変化で大量死も起きたとされる。このライオンはそのうちの1つと見られている。

人間の暮らしも、自然の移り変わりに左右された。季節や天候、動物の移動、植物の成長サイクルなどだ。また、川の氾濫や水の減少など、テムズ川の状態にも影響を受けていた。

女性の頭部の復元 紀元前3640~3100年

約4~2万年前には、ネアンデルタール人が絶滅し、現在の人間につながる人類種のクロマニヨン人が台頭した。ネアンデルタール人の絶滅原因は明らかになっていない。

この頭部は約5000年前の30~40代の女性のもの。ロンドン郊外のシェパートンという場所から発掘された人骨をもとに復元されている。少し男性的で、アフリカ人的な顔の特徴もあるかな? 髪と瞳の色は判明していない。

銅器・鉄器時代:金属の道具が次々と誕生

鉄器や陶器 紀元前1100~700年

道具は石器がメインだった時代が終わりを告げ、銅や鉄など金属を使用する時代がやってきた。展示されているのは銅製の剣や斧。個人が持っていた武器なのか、兵士が使っていたのかはわかっていない。

この後、紀元前5世紀ごろにケルト人(中央アジアからヨーロッパにやってきた民族)がイングランドにたどり着く。それ以前に住んでいた人間については、どんな民族なのか出自もよくわかっていない。

つまり、上の金属道具を作った民族については謎に包まれている。

銅製コイン 紀元前100~50年

ロンドンから少し南西に下った地域で発見された銅でできたコイン。片面(右)は闘牛の牛を、もう片面(左)は、ギリシャ・ローマ神話に出てくる芸術の神アポロが刻印されているが、スタイリッシュすぎてよくわからない。

紀元前54年~407年:ローマ人の侵略とロンディニウム

紀元前54年、古代ローマ人がイングランドにやってきた。ローマ軍を率いてやってきた将軍の名前を、ユリウス・カエサル(英名はジュリアス・シーザー)という。テムズ川を超えようとしたが、征服には至らなかった。

その90年後、紀元43年にローマ帝国皇帝クラウディウスがついにテムズ川を超え、ケルト人を征服。イングランドを占領し、現在のスコットランドとの境界に長城を建てた。ローマ人に征服されたイギリスの「古代」の始まりである。

そしてローマ人はイングランドを「ブリタニア」と呼ぶようになり、テムズ川付近の地域をブリタニア統治の拠点とし「ロンディニウム」と名付けた。ブリテンとロンドンの語源である。

ロンディニウムとは、現地で先住民に呼ばれていた地名「Plowonida」に由来するのではないかという説がある(日本人の感覚だと「そんなに似ているかな……?」という感じだが)。

こうしてイングランド=ブリタニアは、ローマ帝国の属州となったのだった。

しかし、よくもまあ最初はイタリアの南で繁栄した民族が、こんな端っこの島国まで来たものだと思う。

古代ロンドンの文化①:「ローマ式」文化を導入したロンディニウム

ローマ人は、ブリタニアでもローマ式の生活を続けたため、ブリテン島にはローマ文化が入ってきた。

現地民であったケルト人も、ラテンアルファベットを使い、ローマ風の服を身に着け、公衆浴場や外国の料理を楽しむようになるなど「ローマ人化」していったのである。

7~8歳の馬の骨 2世紀

ポニーくらいのサイズの小さな馬。重い荷物の運搬や、人が乗るのに使われていた。

古代ロンドンの文化②:古代ローマの富裕層の家はとてもオシャレ

ダイニングルーム 300年頃

ロンドンにあったローマ式生活をしていた富裕層の家の再現。家具は復元されたものだが、食器や床のモザイクは当時のものである。光源にはオイルランプを使っていたが、あまり明るくなかったので、壁の色は明るい色地が多かったという。

ここでゲストをもてなしたりしたのだという。かなりいい感じの部屋に住んでいたんだなあ……。

この見事なモザイクはどうだ。今でも十分に美しい。

古代ロンドンの文化③:古代ローマ人の食生活はバラエティ豊か

当時のキッチンの再現

ロンディニウムには多くの人が住み、また貿易も盛んだったので、商人や売人などさまざまな人々が生活していた。彼らの食生活はかなりバラエティに富んだ豊かなもので、それを支えていたのが、ローマの領土内の他地域から輸入された食材であった。

もちろん、ロンドンの外でも、野菜や穀物が栽培され、漁業が行われていた。

肉、魚、野菜、果物、穀物、豆など、現在と変わらないほどのバラエティである。小麦からは当然パン、ケーキ、ビール、料理に使うソースなどが作られた。

貝も食べていたようだ。

ロンディニウムで一番食べられていた肉は牛肉で、次点で豚肉だったという。

ブリタニアで(おそらく)栽培されていた野菜や果物は、チェリー、キュウリ、いちじく、ぶどう、グリーンピース、くるみなど。外国からもたらされたのはパクチー(コリアンダー)やディルなどのハーブ類、りんご、洋ナシ、プラム、レンズ豆、オリーブ、桃などであったと推測されている。

ロンディニウムでは食品加工業が発達

忙しい都市の人々は、家庭で一からパンを作ったりしていられない。すでに加工された食品へのニーズは、多くの食品加工業者を生み出した。肉屋、小麦精製業者、パンやケーキなどを焼くベーカリーなどである。

当時の料理のレシピも残っているらしく、展示内ではそれをまとめた資料が置かれていて、現代のシェフがそのうちのいくつかを再現している動画も見ることができた。

レシピの中には「ワインケーキ」なるものもあって、古代ローマの人はオシャレなスイーツを食べていたのね……と感慨深い思いだ。

古代ローマ人の文化は相当に発達していて、現代人とほぼそん色ないと思えるほどなのだ。人間の生活としての基盤が完全に完成された感じがある。

次の記事では、古代ローマ人の進んだ衛生観念と、ロンディニウムで信仰されていた宗教について見ていくよ! 個人的には、医者や役人などの職業を奴隷が担っていたというのが驚き。

博物館展示からロンドン史を見る②古代ローマ時代の衛生観、医学と宗教
Museum of London(ロンドン博物館)の展示をもとに、ロンドンの歴史を物語のように解説するシリーズ。ロンドン史第2弾。いちばん初めの第1弾はこちら。このシリーズの目次はこちら。前回に引き続き、今回は古代ローマ人が現在のロンドンの

Museum of London

住所:150 London Wall, London EC2Y 5HN

入場無料

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