大英博物館で始まった特別展「Arctic culture and climate」(~2021年2月21日まで)に行ってきた。
イヌイットやサーミといった北極圏の人々の、普段知ることのできない文化や暮らしを、実際の生活用具を通して触れられる展示。厳しい自然と共に暮らし、あらゆる資源を有効活用する生活は、大変面白かった。
特に興味深かったのが、漁や狩りをしてしとめた動物や、放牧する家畜のすべてのパーツを余すことなく使う技術だ。
肉を食べるだけでなく、毛皮で衣服を作り、皮で袋や靴を作り、骨でナイフや槍を作る。動物の内臓で船の帆を、アザラシの皮で防水スーツまで作っていたことを、この展示で知った。
この記事では、そんな北極圏の生活について、多様な展示物の写真とともに紹介していきたい。
ロシア、アメリカ、カナダなど広い地域にまたがる北極圏
北極圏は地球上で最北のエリアで、アイスランド、デンマークの自治地域グリーンランド、ロシアのシベリアやその他一部の地域、アメリカのアラスカ、カナダの一部、スウェーデン・ノルウェー・フィンランドにまたがる一部のエリアなど、複数の大陸にまたがっている。
こうしたエリアに住む人たちは、「南」の人々とは大きく異なる文化・生活様式を持つが、それらは北極圏の民族間では多くの部分で共通している。
北極圏の先住民族にルーツを持つ人は40万人いると言われる。
北極圏に住むさまざまな民族
極東ロシアに住むチュクチ族の服。チュクチ族にも複数種類があるが、これは内陸に住みトナカイを放牧する民族で、トナカイの乳、肉を食べ、毛皮でこのような衣服を作る民族のもの。
ロシアのエヴァンキという民族のもので、これはトナカイの皮から作ったシャーマンの服。横に設置されているのは木とトナカイの皮でできた太鼓で、これを叩いてトランス状態に入り、精霊の世界と交信する。
ハンティはロシアのシベリアに住む民族で、1586年にロシアがシベリアを征服した後、北極圏で初めて「南」の人間と接触した民族である。この女性用の服には、彼らが南の人々と貿易して手に入れたビーズが美しく縫い付けられている。
サーミはスカンジナビア半島北部とロシアの一部に住む民族で、各コミュニティが独自のデザイン、色、文様を持つ衣服を持っている。
エスキモーとも呼ばれるイヌイット(エスキモーは差別用語とされている面もあるが、そうではない地域もある、またイヌイットと呼ばれるのを拒否する民族もいる)は、グリーンランドやアラスカ、カナダ北部、シベリアに住む民族。
イヌイットにも複数のグループがあるが、海獣やトナカイを狩って暮らすという生活様式は共通している。
この女性の服はユピック族のもので、リスの毛皮100匹分から作られている。
この子ども用の服はイヌピアト族のもので、ビーバー、カワウソ、マスクラット(水辺に棲むネズミ科の動物)の毛皮でできている。
動物の毛皮で作られるフードは、湿気を吸わないため顔に当たる部分が凍ることがない。
アラスカとカナダ北部に住むグウィッチン族の服。生活と信仰はトナカイに密接に結びついている。
これはトナカイの皮で作った夏用の服。夏でもかなり防寒仕様に見える……。
雪の中での生活の必需品
寒い雪の世界で暮らすには、その気候に対応した生活用具が必要となる。この展示では、その一部を見ることができた。
雪と氷の上を長距離移動するのに便利な犬ぞり。壁のスクリーンに映っているように、多数の犬によって引っ張る。
そりの形は雪や氷の種類によって異なる。これはスカンジナビア半島の深い粉雪を滑るのに適したそりで、オスのトナカイ1頭で引けるという。スティックでバランスをとったりトナカイに指示をする。
まるでスキー板のような雪靴。体重を分散し、雪に体が沈むのを防ぐ。
トナカイの毛皮で作った靴。底の部分まで毛がもさもさの状態。これのおかげで雪の上を滑らかに歩けるのだろう。
つま先部分だけ毛がなく、これは地面と摩擦を起こすための滑り止めさという。とても機能的だ。
地球の気候変動により変わる生活
3万年もの間、北極圏の人々は雪と氷の世界が育む生態系に順応して生きてきた。北極の天候や環境は、彼らにとって抗う対象や敵ではない。風や気温、湿気、雪、氷は、すべて自分たちの生活を便利にしてくれるものなのだ。
北極圏はずっと、ゆっくりとした季節の変化を保ってきた地域である。彼らの生活様式は氷や雪がある環境を前提として発展してきた。
だが、その暮らしと社会は、近年の急激な気候変動(地球温暖化)によって脅かされてきている。北極は地球上の他地域の2倍以上の割合で温暖化が進んでおり、研究によれば、8年以内に夏は氷がなくなってしまうと予想されている。
自然の資源や動物の骨、皮、肉を余すことなく使用する
彼らの生活では、木や石、動物からあらゆるものが作られる。動物の乳や肉はもちろんのこと、毛皮、皮、内臓、骨も無駄にはしない。
これまで見てきた服や靴のほか、狩猟の道具や日用品、儀式の道具、寝具、テントなどさまざまなものが、動物の一部と木や石と組み合わせて作られる。
サーモンの皮と、トナカイとアザラシの喉の皮を使ったバッグ。よーく見るとうろこ状の模様が見える。
グロテスクと思う人もいるかも? アヒルのかぎづめがぴょこぴょこといろんなところから出ている独特のデザイン。よく脚でバッグを作ろうと思ったものだ……。
左のバスケットは本体をセイウチのヒゲで、取っ手を牙で作っている。セイウチの顔がリアルだけどのほほんとした感じで可愛い。
右のスプーンはトナカイの角でできている。うっすらとトナカイの模様が描いてあるのがおしゃれ。
1本の木材から作られた旅行鞄。骨でできた蝶番(蓋の上の白いパーツ)はトナカイの皮で縫い付けられている。
一部の地域では、トナカイは馬のように乗り物としても使われている。この鞍はトナカイ用のもので、しかもトナカイの毛皮で作られている。
冬には月光が、春には太陽光が雪や光に反射して強烈な反射光を生み出し、目が見えなくなることがある(雪目や雪盲と呼ばれる)。それを防ぐために、こうした雪用ゴーグルが使われた。トナカイの皮とビーズを使って作られている。
目の穴部分が随分細いが、これで周りは見えていたのだろうか……。
この展示で一番驚いた展示品。海獣の内臓を縫い合わせて作った船の帆である。
近くで見ると、血管の跡が見える。姿はまったく変わっても、生き物の証が残っているようで、感慨深かった。
「南」の人々と接触する前にアラスカでこうした帆が実際に使われていたのかはわかっていないというが、1818年に初めて北西アラスカに上陸したヨーロッパの冒険家は、内臓で作った帆が使われていたことを記録している。
アザラシの皮で作ったこのボールは、家の中に吊るして使った、伝統的なエクササイズ道具。長い冬に天井からつるしたボールを座りながら蹴って、体力と持久力を維持するトレーニングをしたという。
2年に1回行われる北極圏先住民族のオリンピック(WEIO)でも競われている、人気のスポーツだそうだ。
人と動物の関係
これまで見てきたように、北極圏の人々は自分たちの生活を動物に大きく依存している。そのため、動物との関係も大変密接であり、特別なものであった。
彼らにとって動物は、人間とは別だが知性を持つ生き物である。
家畜の世話をする人は、自分たちの所有する動物がそれぞれが特性を持つ個の存在と見ており、狩人は、自分たちが敬意を持って扱う時のみ、動物は自分の命を捧げてくれると考えている。その魂を丁寧に扱えば、動物はまた蘇り、生まれ変わるとされている。
季節の移り変わりを祝う儀式
自然に強く依存する生活では、季節の変化はとても大きな意味を持つ。季節を祝う儀式や祭りは、北極圏の民族の間で伝統的に催されてきた。
ロシアのサハ共和国で行われる夏の祭りである「Yhyakh」の模型。夏がまた来たことを祝い、穀物が実り無事に家畜が育つ天候を恵んでくれたことを神に祈る、1年の中で最も重要な祭りである。
この模型では、神に祈る人やシャーマン、捧げものを持って列をなす人々が表されている。
イヌピアトとユピックの祭り用の仮面。動物を崇め、さまざまな精霊に感謝するための儀式の踊りで使われた。マスクをつけた踊りは冬の娯楽として楽しまれることもあったという。右側の仮面は太陽を模したものにも見える。
知恵と利便性の詰まった、狩りや猟の道具
上で述べたような、人々の生活を支える生き物は、さまざまな道具を駆使して手に入れる。基本的に狩りや漁、放牧は男性が行い、女性は料理や服作りなどの役割を担う。
氷に開けた釣り用の穴にこの銛を差し込んで魚を獲り、網ですくう。網はクジラのヒゲを使って作られており、柔軟で凍らない。網目が氷で覆われることがないのだという。
凍った川に穴を開け、この木製の罠を設置して魚を獲る。広く使われた方法だという。
宇宙服のような、ラピュタの巨神兵のようなこの服は、なんとアザラシの皮からできた防水スーツである。世界で唯一完全な姿で残っているものだという。
グリーンランドのカラーリット族は、このスーツを着て船から直接寝ているクジラの背に飛び乗り、銛で突くのだそうだ。まるで映画みたいな話だ。
着る時は胸の穴から全身を入れ、穴をきつく締めて水が入ってこないようにする。また胸の穴から管で空気を入れて膨らませ、暖かさを保ち水に浮くようにすることもできた。なんと素晴らしい発明だろう。
動物を真似ることは、狩りには重要な技術だ。銃が入ってくる前は、狩人は獲物にできるだけ近づく必要があった。この流木にアザラシの爪をつけた雪かきは、アザラシが氷をかくのと似た音が出るので、これでアザラシを油断させて気づかれずに近づいた。
アザラシ狩りをする時に使われる、木製の日よけ帽子。遠くから見ると人ではなくアザラシがいるように見えるため、獲物のアザラシが狩人に気づかず油断するのだという。
親指を入れる部分が2つついている、アザラシの皮でできた手袋。時間に追われている時に左右合った手袋を探す手間を省くためのデザインだという。その説明を読んで「天才では……?」と思った。
「南の人々」との接触と交流
最初に「南」の人々、つまり北極圏以外の地域から来た人間と接したのは、ヨーロッパに一番地理的に近いサーミ人(スカンジナビア半島北部と北西ロシアに住む)だった。13世紀初頭から、彼らはヨーロッパの人々と交流があった。
さらに、ヨーロッパ人は16世紀までにシベリアと北米の先住民族と交流するようになった。
最後まで残ったのは東グリーンランドだったが、彼らも19世紀後半にはついに西洋人と接触するに至った。
北西グリーンランドの先住民族と初めて出会ったイギリス海軍の軍人を描いたもの。通訳がいたおかげでやり取りは平和に進み、物々交換をしたという。
これは珍しいことで、両者の交流は緊張感のあるものがほとんどだった。
多くのヨーロッパ人は彼らの道具や発明品に感銘を受けた。特にアノラック(元はイヌイットの着るアザラシ皮のコートのこと)やカヤックなどは今や世界中に広まった。一方で、北極圏の人々も西洋の道具を日常に取り入れ始めたのである。
このブーツのカラフルな部分には、従来の色染めしたアザラシの皮ではなく、外から入ってきた絹を用いている。糸やビーズなど、さまざまな「南」の産物が道具や服飾品に使われるようになっていった。
「南」による北極圏の支配
北極圏との交流が始まった後、ヨーロッパ人はその地域を支配しようとした。植民地化し、毛皮資源を広く手に入れようとしたのだ。先住民族の社会をコントロールし、伝統的な信仰を禁じ、「(自分たちにとっての)理想の市民」にするために先住民族を変えようとした。
だが北極圏の人々は、そうした植民地化に力で抵抗した。また、自分たちの文化と伝統を維持するために、ヨーロッパ人との貿易によって得た技術を自分たちの暮らしに合うように取り入れた。
中でも、ライフルは狩りを容易にするとして受け入れられた。とはいえ、その周辺の道具を作る素材は、このアザラシ皮でできた銃弾ケースとベルトのように伝統的なものが使われた。
北極圏の人々は、発展した移動手段に順応するのに抵抗した。このスノーモービルの所有者は、プラスチックのシートを外してアザラシの毛皮を代わりに取り付けるという自分たちの伝統を取り入れたカスタマイズを行っている。
左側の、トナカイの皮、ビーズ、フェルトで作ったカバンは、スウェーデンに住むサーミ人のもの。17世紀に、サーミ人をキリスト教に改宗させる動きが起きたが、実はここには、キリスト教に隠れた彼ら独自の信仰がうかがえる。
中央の十字架型のシンボルは、サーミの信仰する太陽の神々と、キリスト教のシンボルの十字架が混ざったものである。元々の精霊信仰は17世紀に弾圧されたが、人々の内側に生き続け、こうした形で受け継がれている。
旧ソビエト連邦は1930~1980年代にかけて、先住民族のシャーマン文化を弾圧した。このマントと太鼓の持ち主であるガナサン人のシャーマンは、投獄されたにも関わらず、広くシャーマンの儀式を行い続けたという。これらは後に彼がサンクトペテルブルクのミュージアムに寄付したものだ。
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現在では、北極圏の文化を保護する動きが高まってきている。先住民族の人々は受け継いできた伝統を自分たちのニーズに合うよう変化させながら、その文化を世界中に広めている。また、狩猟や牧畜を支援するマーケットも発展しつつあるという。
実際に彼らが使っていたものを見ると、ただ話を聞くだけよりもさらに臨場感が増す。普段関わることのない、まったく知らなかった世界のほんの片鱗を、この展示で見せてもらえた気がした。
大英博物館「Arctic culture and climate」(~2021年2月21日まで)
住所:Great Russell St, Bloomsbury, London WC1B 3DG
料金:大人18ポンド、学生・16~18歳16ポンド
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