光を描く天才画家「ソローリャ」の感動的な個展@ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ロンドン・ナショナル・ギャラリー
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ロンドン・ナショナル・ギャラリーの特別展「Sorolla: Spanish Master of Light(〜2019年7月7日まで)」に行ってきた。1800年代後半〜1900年代前半に活動した、スペインの画家ホアキン・ソローリャ(1863〜1923年)の作品を数多く見せる個展だ。

この画家のことは知らなかったのだが、なんとなく「見に行ってみようかな」と軽い気持ちで入ってみた。

そして、この展示で私は、彼の作品に凄まじい衝撃を受けた。とんでもない表現と技巧がバンバン目の前に現れ、震えるような感動を覚えながら会場内を歩き回った。美しい、生きている絵だと思った。

こんな体験は、めったにあるものではない。

ここでは、この展示で見ることができた素晴らしい作品を紹介しながら、その魅力について触れていきたい。

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ベラスケスとゴヤの影響を受けたスペインの画家

ソローリャはスペインの湾岸都市、バレンシアで生まれた。9歳から美術教育を受け、18歳の時にマドリードに渡り、プラド美術館で巨匠たちの作品を研究した。

特に影響を受けたのは、スペイン最高の画家と呼ばれる二人、ベラスケスとゴヤである。

「ベラスケスの孫、ゴヤの息子」

これは、ある小説家が1907年にソローリャについて書いた論のタイトル。

その影響は、彼の黒、グレー、クリーム色の使い方や、はっきりとしたストローク(筆致)、また情感のある雰囲気などに現れている。

「female nude(女性の裸)」1902年

女性が背を向けるヌードを描いた作品。彼女はシルクのベッドの上に横たわり、指にはめた指輪を眺めていいて、何かしらのストーリーを想起させる。これはベラスケスの作品「鏡のヴィーナス(※参考↓)」の影響を受けているとされる。

拡大した肘の部分。ソローリャの絵は、近づいて見るとはっきりと筆致がわかる。しかし、作品から少しずつ離れていくにつれその質感はより写実性を増し、雰囲気を帯びてくるのだ。この感じもベラスケス、そしてゴヤの特徴と重なる。

このヌードのモデルとなった女性はソローリャの妻、クロチルド。彼女はソローリャの一番のモデルであり続け、作品には彼女やまた彼らの娘たちがよく登場する。

「Mother(母)」1895〜1900年

これも、クロチルドが娘を出産した時のシーン。大部分がベッドのクリーム色で占められ、そこに新生児と母親の顔だけが見えている。

しん、とした空間であるのが伝わってくる。鑑賞者の視線は自然と、二人の人物に向かっていく。この世に産み落とされたばかりの、静かだけれど、しっかりと生きている命が感じられる。

美しいスペインの日差しを見事に描ききる才能

「画家は、太陽光を本物そのままには描けない。私ができるのはその真実に近づくことだけだ。」(ソローリャ)

スペインに行ったことのある人なら、彼の作品を見て晴れたスペインの日を思い出すだろう。

肉眼で見る光そのものとは違うけれども、太陽光を介して見る景色を彼はおそらく本物以上に、理想的に描き出している。私達が頭の中に持つ、太陽光、自然光の理想的なイメージをそのまま具現化したもののようにも思える。

「Sewing the sail(帆縫い)」1896年

一番気に入った作品がこれ。目の覚めるような美しい色彩で、太陽の下、船の帆を縫う人々を描き出した作品。他の作品同様、これも近づいて見ると、大胆な筆致で絵の具が塗り重ねてある。

それが、少し離れるとともに、人の腕になり、衣服になり、葉や花びらになり、影になり、光になっていくのだ。

絵の具の層でしかなかったものなのに、ああ、ここには人間がいる、生きている空間がある、と思わせられる絵だった。やはり、美術作品は本物を、実物を見なければわからないことがたくさんあるのだ。

「The return from fishing(漁の帰り)」1874年

かなり大きなサイズの、漁から帰ってきた漁師たちを描いた作品。風を受けて膨らむ船の帆と、それを照らす太陽光、そして光が反射してキラキラと輝く水面が印象的だ。後でもたくさん海辺の作品を紹介するが、ソローリャの絵は、特に光と水の表現に特徴があると感じる。

隆々とした牛の体のどっしりとした重量感や、柔らかそうな毛並みの質感も見事だ。

手前の猟師と牛たちには影がかかっていて、海の遠方はホワイトアウトしたように白く映る。バロック絵画のような劇的な明暗対比ではないが、柔らかく、しかしはっきりとした明暗の差がある。快晴の日の海辺の空間が、まるで目の前に飛び出てきたかのようだ。

「Sad Inheritance(悲しい遺産)」1899年

生まれながらにして障害のある子どもたちを海に連れ出している場面。当時は、こうした光景が普通のことであった、という注意書きがあった。

タイトルは、彼らの障害は親の不道徳のせいだということを示唆している。彼らの親は性病やアルコール依存症に陥っており、その子どもはこのように倫理観が欠如した人間の被害者である、ということだ。

「空間」を画面内に作り上げる

「Kissing the relic(聖遺物へのキス)」1893年

ソローリャの絵を見ていて気づくのは、絵画の中にある三次元的な空間だ。それはただ遠近法を駆使した物質の距離ということだけではなく、空気や雰囲気というものが、作品の中に漂っている。

教会で司祭が持つ聖遺物にキスをする信者たち。ここには、ほの暗く、少し空気の冷えた教会の空間がある。

その中で厳かに儀式を行う人々の様子がありありと浮かぶような、コツコツという小さな足音やヒソヒソとした話し声が石造りの建物の中に響くような、そんな空間を目の前にしているように感じるのだ。

「And they still say fish is expensive!」1894年

漁を手伝う少年が胸を負傷し、それを手当する年上の男たちの様子が描かれている。タイトルは、「これでもまだ人々は魚が高価だと言う!」という意味。
この少年のように命の危険を冒して漁をしているのに、それでも世間は魚が高いと文句を言うのか、という思いが込められているのだろう。

ここには2つの空間がある。少年を囲む二人の男性が作り出す円形の空間と、奥に樽や魚が積まれている、より広い乱雑とした小屋内の空間だ。

神話でも歴史画でもない、実生活(非日常な出来事ではあるが)を描いた場面ではあるものの、少年の傷ついた白い裸体とそれを抱える二人の人物は、死んだキリストを描いた宗教画の構図と重なる。

そして、ここにも光がある。朗々とした太陽光が直接当たっているわけではないけれども、差し込む光が少年にスポットライトを当てるかのようにその体を照らし出している。

この作品を見ている時、白く照らされている少年の鼻の先端が、なぜだか特に崇高で美しく感じられた。

作品に常に組み込まれるスペイン文化

地元の人々の風習、またスペインの文化や風習を、ソローリャは好んで描いた。世界的に有名になり、さまざまな国で展示を開くようになっても、スペイン文化は彼の大きなテーマの1つであり続けた。

「types from Roncal(ロンカル様式)」1912年

スペイン北部のロンカル渓谷のエリアに住む人々を描いたもの。彼らのファッションはルネサンス様のスタイルで、最も古く、また最も変化していない様式の1つであるという。

赤が映える綺麗な衣服を着ているのは、未婚の若い女性。袖のたっぷりとした黒い服を着ている男性は役人かまたは町長だとみられる。画像だとわかりにくいが、実物だと布の質感がよく出ている。

「reflections in a fountain(噴水の反射)」1908年

セビーリャの宮殿「アルカサル」の建築を斬新な発想で描いた作品。

画面に描かれているのは噴水の水面だけで、宮殿の建物が逆さまに映し出されている。水面に小さく立った波紋を受けて、反射した像がゆらゆらと揺れる様子は見事だ。

海辺のシーンを描いた作品は必見

ソローリャの作品には、海辺での場面を描いた作品も多い。彼自身、家族とともによく海辺に行っていた。彼の作品に見られる海と太陽光の組み合わせは、目を見張るものがある。

「running along the beach Valencia(バレンシアの浜辺を走る)」1908年

ソローリャはロンドンにも滞在していたことがあった。大英博物館に展示されているパルテノン神殿のフリーズ(帯状の小壁)を丹念に研究したという。この作品は、ロンドンから帰ってきてすぐ制作されたものであり、そのフリーズの影響が見られる。

※下の写真は、私が大英博物館で実際に撮影してきたパルテノン神殿のフリーズ。横向きの騎馬群像のレリーフが連なっている。古代人が表現した躍動感は、数千年の時を経てソローリャの絵画に抽出された。

また、子どもたちの着ている服が風でふわりと舞い上がる表現も、このパルテノン神殿の女神像(↓)の衣服を思い出させる。

「Children on the beach(浜辺の子どもたち)」1910年

この作品は秀逸だ。水に濡れて光る肌、浅く水が張る浜辺の様子、そしてその浜辺に反射する青い空と子どもたちの姿。すべてが生き生きと、写実的に、柔らかく描かれている。

見ていて愛おしさで胸がいっぱいになってしまうような、そんな絵の1つだ。展示を見ている途中に何度も思ったが、彼の作品には「生きている感じ」がはちきれそうに詰まっている。

海辺と太陽、水と光をこんなに見事に、パワフルな美に昇華させた人はいないのではないか。当時「世界最高の画家」と評されていた、というのも頷ける。

「snapshot Biarritz(スナップショット ビアリッツにて)」1906年

フランスのリゾートビーチ、ビアリッツでのホリデーで、当時最新だったコダック社のカメラを持って座る妻を描いたもの。この作品自体が、この瞬間を切り取った写真のような雰囲気がある。

タイトルは、妻が写真を撮っているところ、そしてこの作品のスナップ写真のような性質のどちらにもかかっているようだ。

「Walk on the Beach(浜辺を歩く)」1909年

浜辺を歩く妻クロチルド(左)と娘マリア(右)。クロチルドの帽子のベールが翻り、また砂浜や海を構成する筆の流れにより、(実際には描かれていない)風が右から左へ吹いているのがまざまざと感じられる。

海の青を背景に、純白のドレスをまとって歩く女性二人ははっと息を呑むような存在感があり、物語が生まれそうな詩的な情景が広がる。


展示を見ている最中は、衝撃に圧倒されて、感情を刺激されまくって、なんだか現実感がなかった。

光が降り注ぐ光景でも、暗く悲しい場面でも、ソローリャの描く絵には常に空気があり、生がある。それが強烈に心を動かされる理由の1つだろう。

見終わった後は、こんな素晴らしい画家を、なぜ知らなかったのだろう……。ああ、本当に行ってよかった、としみじみと思った。

日本ではまだあまり知られていないソローリャ。会期中にロンドンにいる人には、ぜひ見てほしい展示。


ロンドン・ナショナル・ギャラリー「Sorolla: Spanish Master of Light」(〜2019年7月7日まで)

住所:Trafalgar Square, Charing Cross, London WC2N 5DN

料金:平日16ポンド(オンライン予約14ポンド)、週末18ポンド(オンライン予約16ポンド)

その他、ナショナル・ギャラリーの展示レポはこちらから。

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