ロンドン科学博物館で開催中の「Robots」展(~2017年9月3日まで)に行ってきた。
500年前~現代までの、ロボットの歴史を振り返る展示だ。
最初に言ってしまうと、大変素晴らしい展示だった。
私はロボット工学には全く詳しくないが、ロボットと人間の境目とか、命の区分けとか、そんなことをとりとめもなく考えるのが好きだ。人類のロマンとして長年芸術や文学の素材になってきただけある。
現代のものだけでなく、数百年前のロボット(機械仕掛け人形)が見られる点が特に個人的にぐっ時た。
不気味の谷現象
入口の先には、いきなり本物そっくりの赤ちゃんロボットがいた。
ふるふる微妙に手とか動いていて、いきなり「不気味の谷」を見せつけられた感じがした。
※不気味の谷現象……ロボット工学者が提唱した言葉で、ロボットなどが人間らしくなっていく過程で、人間は好意を覚えるが、ある時点から急に強い嫌悪感に変わるというもの。
今回の展示は、ところどころに、この「不気味の谷」があった。
見た目は赤ちゃんそっくり。でもただメカニズムで一定の動作をしているだけ。人工知能も入っていない。このギャップが気味悪いのだ。
「動き」が無機物に命を与えているように見えるなら、この背中についた管は生命線だ。
この赤ちゃんロボット、この角度から見ると何かに似ている。
そう、お腹の中の胎児だ。
そう考えると、命の定義とは何だろう、とすでにわからなくなった。心臓が動いていること? 光や音に反応すること? 感情があること? でも明らかに、このロボットは命があるものではない。
ここから、昔の時代にさかのぼってロボットの展示が始まる。
昔とは、500年前だ。500年前に、すでにロボットの祖先ともいうべき機械仕掛けの人形はすでに発明されていた。
キリスト教から生まれたロボット
「最初期のロボットのいくつかは、人体と時計仕掛けを組み合わせたもので、カトリック教会から生まれた。
(……)時計仕掛けを見慣れていなかった当時の人々には、信じがたいものであった。これらのロボットは魔法として説明づけられていた可能性もある。教会の権威を見せつけるために利用されたのだった。」(解説パネルより抜粋、訳)
1560年前後にスペインか南ドイツで作られた、時計仕掛けの僧侶。
テーブルの上を歩きながら唇を動かし、手に持った十字架を掲げ、胸を拳でたたく仕草(改悛の仕草)をしたとされる。
左手の形からして、ここに十字架を持っていたんだろう。
この人形は、スペインのフェリペ2世が、息子の頭の怪我が治ったことの神への感謝として作らせたもの。
この歯車の仕組みなんかも、当時は一部の技術者以外の人たちにはわけがわからなかっただろう。
伝統的な、キリストの磔刑の場面を機械人形化したもの。1700年頃にフランスで作られた。
キリストの頭が動き、木でできた血が垂れるんだとか。
下方にいる聖母マリアや従者の4人も、キリストに歩み寄るように台座に仕掛けがされている。
人間の体の仕組みを知ることとロボット制作はつながっている
この時代には、人間の体の仕組みが完全にはわかっていなかった。
解剖学者たちは、こぞって人体を解剖し、内臓を開き、何がどのように機能しているのかを探ろうとした。
彼らはアーティストでもあった。人体の仕組みを知ることで、彫刻や素描で生きているように見える人体を作ろうとしたのだ。
解剖学の観点から、内臓や筋肉、骨の仕組みがわかるように作られた人体模型。1500~1920年と、制作時期はさまざま。
中央の女性の解剖模型は1770年~1800年頃のイタリア製のもの。
1850~1910年にヨーロッパで作られた義手。
とても柔軟で高性能な義手で、指も精巧に動く。これは実用的な用途と言うよりも、人間が着ることで「リアル機械人間」として見世物にするためのものだった。
自動書記ロボット
今回の展示で一番印象に残ったロボットがこの自動素描人形。1800年頃のイギリス作。
4種類のスケッチと3種類の詩を英語とフランス語で書くことができる。
ものすごい技術である。台座に機械仕掛けが収められていて、ペンを持った手をコントロールする3つの歯車があり、それぞれの歯車が手の上げ下げ、紙の上で上下に線を書く、左右に線を書く、という動きを操作する。
この3つの組み合わせで、スケッチとポエムを書くのだという。
この写真だと見えづらいが、これは船を描いているところ。
こんなものが200年も前に生み出されていたなんてすごい……。いわゆるプログラミングのサンプル数を増やせば、さらにいろいろなパターンのものを彼は書くことができるのだ。
(おそらく別の)自動書記人形が書いた文章のサンプル。1830年頃のロンドンにて。
このひな形はもちろんもともとは誰か人間が作ったものだ。それをロボットが真似て(プログラミングされて)書く。
人間のふりをする機械のために、人間が機械のふりをした文章を書く。壮大な無駄のようにも思えるし、でも試したい気持ちもとてもわかる。これが人間の積み重ねてきた実験の1つだと思うと感慨深い。
これは1895年から生産された、機械化された機織り機。
私たちの考えるロボットとは違って、これはもっと「機械」寄りだけれど、機織り職人の機械化という点ではロボットなのかもしれない。
現代の「ロボット」
「『ロボット』という言葉は、チェコ語で『強制労働させられる者』という意味のRobotaからきている」(解説パネルより抜粋、訳)
「SF映画の原点にして頂点」と言われる、1927年のSF映画「メトロポリス」に出てくるロボット「アンドロイド・マリア」。「ロボット」という言葉が使われるようになってたった7年後に制作された映画だった。
手足を伸ばし、顔と口を動かしたりできるロボット。
この時代に作られたロボットの中では一際スムーズな動きが特徴だったらしい。今となってはすっかり古いタイプのロボットと技術となってしまった。
世界初の自動歩行するロボットとして作られたこの亀形のロボットは、脳のメカニズムを研究していた神経生理学者グレイ・ウォルターによって発明された。
彼のセオリーは、「いくつかの脳細胞と神経の働きだけで、日常的な身体の動きにかかわる複雑な決定を下すことができる」というもので、それを証明するためにこのロボットを作ったのだそうだ。
このロボットは、自分で行き先を決定する機能を持ち、障害物を判断して避け、バッテリーが足りなくなると充電場所を自分で探す。今のルンバの原型は60年以上前に生まれていたのだ。
音に反応する世界初のロボット。花の形をした頭部に内蔵されたマイクで、周囲で一番大きな音を聞き分け、その方向に向くというものだ。
ダンシングフラワーの原型を見た気がする。サングラスをかけたひまわりみたいな花が音に反応して踊り始めるあのおもちゃ。あまり記憶が定かではないが、私が子どものころ? に流行っていたような。
調べてみたら、タカラトミーが1988年に販売した「フラワーロック」というおもちゃらしい。ちょうど私が生まれた年に発売だったのか。その20年前に、このロボットは生まれていた。
「二足歩行をするロボットとして初めて日本以外で制作されたロボット」と解説に書いてあった。そう、1900年代後半~現在のロボット制作は日本のテクノロジーの圧勝だ。
日本産無双、という感じで日本産ロボットが断然多く展示されていた。
展示室中央に立っていたこのロボットは、普段は人の動きを真似て体を動かすらしいのだが、私が行った時は動かなかった。
解説ボランティアの人が「金曜の夜だからね、彼女も疲れているんだよ……。」と教えてくれたが、普通に不具合なのではないかと思う。大丈夫だろうか。
このECCEシリーズのロボットは、全ての部品が手作りで、人間の体がそれぞれ違うように、それぞれのパーツが異なる特徴、機能を持っている。
なので、完全に同じ型を作るのは不可能なんだそうだ。
これはロボットの「個性」と言えるんだろうか?
この「個性」が、使用や修理をより難しくしているというが、それは人間と似ている。
2000年代のロボット
トヨタが開発したトランペットを吹くロボット。
人間のトランペット奏者と同じ吹き方をできるだけでなく、指も奏者と同じように軽快に動かせる。Jpopも演奏できるらしい。
ロボットが作り出した音や絵画や彫刻や文学に芸術的な価値はあるのだろうか?
もしプログラミングされた作品しか作れないとしたら、プログラミングをした人が芸術家になるのか?
ではもし人工知能が曲や美術作品や文学を作り出した場合、作者として評価されるのか? 著作権は誰にあるのか?
そんなことを考えていたらよくわからなくなってしまった。
現代はすでに人工知能がオリジナルの絵画を生み出す世界になっている。
でも、芸術を生み出す種類の人間が滅亡することはないと思う。何かを作り出すということは人間の内側から来る欲望だからだ。
言わずと知れた、世界で最も最先端の技術を駆使して作られた二足歩行ロボット。
会場にはこの前身となる「P2」タイプのロボット(1996年ホンダ製)も展示されていた。
2017年5月現在、一番新しいアシモは2011年に作られたもので、以下のことができるらしい。
- 前後に走る
- 障害物を避けて歩く
- でこぼこの道を歩く
- どの方向にもジャンプできる
- 止まらずに角を曲がる
- 狙ってボールを蹴る
- 顔認識
- 複数の声での会話を聞き分ける
- 手話
- 日常的な動作(コップに飲み物を注ぐなど)
私よりできることが多い。私は手話はできない。顔認識も相手によっては危ういかもしれない。
40種類以上の言語を話せ、目を閉じたりウィンクしたりする動き豊かなロボット。腕、手も自由自在な仕草ができる。また人間を見て姓、年、表情を推測できるという。
映画やコメディ・ショー、舞台などのエンターテインメントでも使われるほか、中国ではウェディングパーティーにも登場するんだとか。
エンターテイナー ペッパー君
一時期話題をさらった日本産ロボット、ペッパー君は子どもたちを楽しませていた。
モニターで子どもにクイズを出すペッパー君。ちゃんと声も出ていたよ。
このどや顔である。世界に進出した人気者の余裕を見せていた。
その近くではnaoが寂しそうに座り込んでいた。
小型のロボットで、安価でカスタマイズしやすいため世界で一番広く使われている。周囲の環境に合わせて動き、会話もできる。
特に研究や子どもとの触れ合いによく利用されているようだ。子どもを対象としたセラピーや、数学や言語を教えるレッスンに使われている。
生々しいロボットたち
不気味なロボット3連発。
このコドモロイド、名前には子どもとついているけれど、外見は子どもというよりも思春期の少女。日本では、東京の日本科学未来館で世界初のニュースアナウンサーとして働いて? いるらしい。
人間そっくりなのに、何か違う。怖い。
これは、人間らしいロボットを作ることにかけて世界で右に出るものはいないロボット工学者であり、「ジェミノイド」という概念を生み出した石黒浩氏の作品だ。
自分そっくりの外見のロボットを作ったことでも話題になった。
石黒氏の著書も数年前に読んだことがあるけど、大変興味深かった。
「人のことがよくわからなくて、人に限りなく近いロボットを作ることで、人間を理解しようとしている」そうだ。
私の中では現代のマッドサイエンティスト的な存在(※ほめています)。
これも石黒氏作。電話の時に活用できる機能を持つという。
Aさんのもとにこの人形があったとする。Bさんから電話がかかってきた時、Bさんのしゃべりに合わせて口を動かしたり頷いたりして、Bさんの感情をより豊かにAさんに伝えてくれるらしい。
もちろん実用の場面では、服を着せたりかつらを被せたりするのだろう。
この姿のままその機能を持っていても、怪談が1つ増えるだけである。
利用者が自分で着飾ることのできるように、外見はニュートラルに作られており、また感触もソフトで気持ちいいらしい。
自閉症の子ども向けのロボットらしいが、ちょっと怖すぎませんかね……。目が空洞なだけでなんでこんな怖いんだろう。
自閉症の子は、他人の表情や考えていることを読み取るのが苦手だ。そうした子たちがコミュニケーションの仕方を学ぶ際のツールとしてこのロボットは使われている。
この「カスパー」は、人の簡単な表情を読み取ることができ、強くつかまれたら「痛い!」と相手に伝えたり、人とのやりとりの間で原因と結果を理解するなど、コミュニケーションに特化した機能を持つ。
このロボットと遊びながら、自閉症の子たちは他人とコミュニケーションをとる方法と自信を身に着けていく。
あえてロボットだとわかりやすい外見にしているのだとか。
より実用的なロボット
家で日常生活に支援が必要な人をサポートするロボット。
リモコンで遠隔操作ができ、薬の袋を開けたり、カーテンをひいたり物を手渡したりできる。手が伸びるので、高いところにある物も届く。
これは価格の問題さえクリアできればかなり便利なロボットとなりそう。
人とともに働くことを目的に作られた二本腕の作業ロボット。
今までの工業用ロボットに比べるとかなり小さく安全で、テーブル上での細かい作業もこなせる。
髪の毛の幅よりも小さい範囲で腕を動かせる、腕に当たるものがないか空間を察知できる、何千分の1秒という素早さで停止できるなどなど、かなり精密にこの腕を使えるという。
*
ここで見られる日本製ロボの多さとその性能に驚いたと同時に、何百年も前からロボットの歴史をたどれたのは大変うまい展示の仕方だな、と感心した。
結局「自分たち(人間)を知ろうとする」ところからロボット研究は始まったのだと知って、なんだかロボットがもっとつながりのあるものに思えてきた。
ロンドン科学博物館 Science museum
住所:Exhibition Rd, Kensington, London SW7 2DD
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