大英博物館:東方への憧れ―西洋のオリエンタリズム芸術を見る特別展

2019年11月3日大英博物館, ◆ミュージアムの展覧会

大英博物館で開催中の特別展「Inspired by the east: how the Islamic world influenced western art」(〜2020年1月26日まで)へ行ってきた。

西洋にとっては東方にあたる、イスラム圏(特に中東と北アフリカ)の文化が西洋に与えた影響を見せる展示だ。西洋人にとって、自分たちの文化と全く異なるイスラム文化はエキゾチックで興味深く映り、多くの人が東方文化を取り入れようとした。

「西洋人の見たイスラム文化」というなかなか珍しいテーマで面白い展示だったので、印象に残った作品を紹介していきたい。

西洋のオリエンタリズムへの憧れ

フレデリック・アーサー・ブリッジマン「祈り」1877年

モスクの中で祈る男性が描かれた作品。高い天井にしんとした空間が広がる。床を汚さないように靴を脱ぎ、静かに敬虔な態度で祈りを捧げている。この祈る人々の姿そのものが、神聖な雰囲気を帯びているようにも感じられる。

アメリカ出身の画家、ブリッジマンはフランスの巨匠ジャン=レオン・ジェロームに師事し、フランスに拠点をおいて活動した。彼は実際に中東や北アフリカへと旅をし、その文化に魅了された「オリエンタリスト」の一人である。

彼はその目で見たものを自身の作品のインスピレーションとし、また多くの品物を自分のアトリエに持ち帰った。当時、「パリに行ったら絶対に見ておくべきものが二つある。エッフェル塔とブリッジマンのアトリエだ」と言われるほど、彼はその東方趣味で有名だったようである。

「オリエンタリズム」という概念

ヨーロッパと中東は古くから交流がある地域であった。特に1500年代から、ヨーロッパ人は現在のイランやトルコといった地域への関心を深めていった。ヨーロッパ人が中東の文化をエキゾチックだと思うのと同じように、中東でもヨーロッパ文化はエキゾチックなものとみなされていた。

展示室内にかかっていたインスタレーション。1580年にオーストリアの外交官が残した文章である。

「我々がトルコ人の服装に驚くのと同じくらい、彼らは我々の服装に驚いていた。」

東方への憧れや東方趣味、東方的なものは、「オリエンタリズム」という言葉で表されたが、それはしばしば、西洋的価値観から見た「異質さ」や、東方は西洋に比べ劣っているという「偏見」を持って使われることもあった。

しかし、それに待ったをかけ、西洋の伝統的なオリエンタリズムの概念を批判し、新たな概念を提唱したのが、パレスチナ出身のアメリカの批評家エドワード・サイードである。彼が著書「オリエンタリズム」を1978年に発売してから、オリエンタリズムの観念は議論され、徐々に変わりつつある。

ここで見られる作品はそれよりも前のものなので、いわゆる西洋人が紀元前から徐々に形成してきた(古い)タイプのオリエンタリズムに沿って作られたものといえよう。

ジャン=レオン・ジェローム「弦楽器を弾く少女の習作」1886年

私の大好きなフランスの画家、ジェロームの作品があった。最初に挙げたオリエンタリズムの画家、ブリッジマンの師匠でもあった画家だ。

19世紀のエジプトの服装をまとう少女が、弦楽器を弾いているところを後ろから描いたスケッチ。ジェロームの作品は神話や伝説を基にした、想像力をフルに働かせたものが多いが、この作品では実際に現地の文化をよく観察していただろうことが伺える。

Antonio Fabrés「守衛」1887年

スペインのグラナダにある、イスラム様式のアルハンブラ宮殿の守衛。極彩色のタペストリーや絨毯、東方風のナイフやベルトなど、異国情緒あふれるモチーフを大画面に描き出している、目を引く作品だ。

とはいえ、作者がこの絵を描いた時は、もうグラナダはキリスト教徒の街になっており、アルハンブラ宮殿は過去の遺物となっていたのである。ここには、トルコやバルカン半島、スペインなどさまざまな地域で作られた小物が組み合わせて描かれている。想像力を働かせ、遠い昔にその地にあったイスラム文化に思いを馳せたのだろう。

兜 1800〜99年 ペルシャ

鎖かたびらのベールがついたペルシャ兜。金色に輝きゴージャスだが、かなり重そうである。

シャルル・コルディエ「カイロのシャイフ」1867年以降

シャイフは首長や知識人を指すアラビア語。威厳ある顔つきと、上半身だけでもわかる堂々とした佇まいが印象的だ。どの角度から見ても、凛として洗練された美しさがある。

モデルとなったこの人物についてはよくわかっていないが、作者は実際に東方へ出向いた際に会った人々をこのような徹底的なリアリズムで表した作品を多く手掛けているため、この男性も実際に会った人物なのかもしれない。

作者である彫刻家のコルディエが残した素晴らしい言葉が、キャプションに記載されていた。

「美は単一の人種に宿るのではない。『美というものはあらゆるところに存在する』という考えを、私は芸術を通して広めてきた。どの人種も、他にはない固有の美しさを持っている

東方の芸術を取り入れようとした西洋

ヨーロッパの人々はイスラム国家の異文化に魅了され、その芸術品の多くを輸入、また模倣した。

バッグやポーチ 1600〜1700年 フランス

当時、ペルシャ(現在のイラン)からフランスへの主な輸入品は、絹であった。上流階級の人々はこぞって、ペルシャの絹を用いたアクセサリーやこのようなバッグを買い求めた。

写真だとわかりにくいが、現在でも素晴らしい光沢を保っており、見る角度を変えるとキラキラと光っていた。使われている絹は、このバッグが制作された当時よりさらに100年前に生産されたものだというが、それだけ古くてもなおものすごい価値があったのだ。

オーウェン・ジョーンズ「トルコ No.3」1855〜56年 イギリス

イギリスの建築家オーウェン・ジョーンズの、さまざまな文化の装飾文様を紹介する著書「The Grammar of Ornament」に収められた作品の一つ。目の覚めるような鮮やかな色彩で、幾何学的なパターンが表される。

これはトルコを表したもの。この文様は、現在のトルコを中心として12世紀から20世紀初頭まで広大な領土を統治したイスラム教国家、オスマン帝国の10代目皇帝スレイマン1世の墓装飾の一部であるという。

「アラビア No.5」1855〜56年 イギリス

こちらも同書収録のアラビアン模様を紹介する作品。エジプト、カイロのモザイク様の床から着想を得ている。多様な色を用いながらも調和を保つパターンが見ていて気持ちいい。

オスマン帝国製の皿 1600〜25年

絵の具や金を用いて、盛り上がりの緩急をつけながらエキゾチックな草花文様を施した見事な作品。ヨーロッパ人はこれを輸入するだけでなく、自分たちで同じものを作ろうと考えた。

だが、異文化は一朝一夕で身につけられるものではないのだろう。この皿を模倣して作ったと思われるものがこれ↓である。

皿 1629年 イタリア

クオリティの差は悲しいくらい歴然だ。だがここまでしても、同じものを手に入れたかったという情熱が見られる。

こうした「東方芸術の模倣」は品質にかなりのレベル差があり、一方で素晴らしい「イスラム風の美術品」を生み出す職人たちも西洋にいた。

ガラス製ランプ 19世紀 フランス

こちらは19世紀にフランスで制作されたもの。1300年代にエジプトやシリアで作られたオリジナルを真似している作品だ。金色の透かし装飾と、アラビア文字の装飾を組み合わせた豪華なランプである。

当時新しく再発見された釉をかける技術が用いられており、高い技術を誇る素晴らしい模倣品であることがわかる。

容器 1916年 オーストリア=ハンガリー帝国

西洋の職人たちが再発見したイスラムの釉薬と金メッキの技術は、西洋のガラス工芸に革命を起こした。この作品もその一つ。

華やかな草花文様とアラビア文字が組み合わさり、オリエンタルな趣のある作品となっている。中心の騎馬人物像はペルシャの細密画が基になっているという。

蓋付きのボウル 19世紀 ペルシャ

この作品には、西洋と東方の複雑な文化交流の背景が見られる。ペルシャで作られたものだが、元は中東に輸出された18世紀のヨーロッパの陶器に着想を得ている。

しかし、その西洋の陶器製品自体が、オリジナルは中東の製品を基にしているのだ。つまり、この作品は逆輸入された東方芸術といえる。東方の芸術が西洋に導入され、西洋の要素と混ざった後に再び東方で注目されたのだ。

西洋人画家の目から見るイスラム文化

この展示では、西洋人画家が描いたオリエンタル絵画を数多く見ることができた。実際に東方に足を運び現地の人々や文化をナマで見た画家もいたが、西洋から出たことがなく、持ち帰られた東方の品物や、旅人の話を聞いて想像を膨らませた芸術家も多かった。

オットー・ピルニー「砂漠での午後の祈り」1918年

夕方の太陽光が柔らかく包み込む空間が表された作品。一目見て、釘付けになってしまった。どこの砂漠なのか、この人達はどんな背景を持っているのか、細かいことはわからないが、そんなことは全部吹き飛んでしまうくらいに、画面の中には確かにこの人々の空間があった。

真剣に祈る人達をどこかからこっそりと見守っているようなこの絵は、祈りを、生活を、人間を捉えている、と思った。

作者のピルニーは、青年の頃に犬だけを連れて単身エジプトやリビアを旅したという。

エドウィン・ロード・ウィークス「ラバト(モロッコの首都)」1879年

都市ラバト内にある城塞地区ウダイヤのカスバの、12世紀に建造された赤門前を描いた場面。画家は実際にモロッコへ訪れ、滞在中にこの作品を作り上げたという。

高くそびえる巨大な門と古い建造物は物々しく、その下に集まる人々(兵隊には見えないので、役人だろうか?)もやや厳粛な雰囲気を醸し出している。

これらの作品を見ているうちに、なんだか得体のしれないリアルさというか、現地の写真を見ているような気分になってきた。
今やインターネットで地球上どの国や街の様子も知ることができるこの時代でも、こうした絵画には、写真に負けず劣らずのものすごい吸引力と、「空気感」がある。

ルートヴィヒ・ドイッチュ 「マドラサにて」1890年

この画家も、実際にカイロに滞在し、多くのオリエンタリズム作品を制作した。マドラサとは、イスラム圏の高等教育機関のことで、ここでは子どもや青年が指導者の監視のもと、宗教関連の学習をしている。

エットーレ・シモネッティ「蛇使い」制作年不明

シモネッティはローマから出たことがなく、東方に訪れたことはなかった。彼は写真や、旅人の話や、兄弟の所有していた東方の小物に頼って作品を描いていた。

女性が弦楽器を演奏し、蛇使いが笛を吹き、蛇を操る。客はどれどれ、といった感じにその光景に目をやっている。

細部まで描き抜かれた壁や絨毯、壺の文様には眼を見張るものがある。また、右側の香の煙が立ち上る表現は見事というほかない。ここには、西洋人が追い求めたオリエンタリズムの幻想がふんだんに詰まっているのではないか。

ポール・ジャノウィッツ「門の前のバシボズク」1887〜88年

バシボズクとはオスマン帝国の非正規兵のこと。ゲートを守る仕事をしている時の光景だろうか。守衛用の椅子はかなりゆったりとしていて大きいのだな、と気づく。

これらの作品群を見るうちに、ザワザワとした人々の話し声、砂っぽい空気、たっぷりとした衣服の布が擦れる音、馬の蹄が地面を叩く音など、さまざまな要素がありありと浮かんでくるほど、それぞれの画面に空間が満ちている。

私までイスラム圏を少し旅した気分になった、というのは大げさだろうか。

ジャン=レオン・ジェローム「脱穀」1859年

こちらもジェロームの作品。エジプトの地で牛が脱穀機を引く様子を捉えた場面で、当時はこんな風に脱穀が行われていたのか、ということがわかる貴重な資料でもある。産業革命以前の、静かで素朴な労働の光景だ。

アドルフ・シュライヤー「伏兵」制作年不明

戦争時の騎馬兵のように見えるが、実際は「tiburida」または「fantasia」という名で知られる北アフリカの乗馬儀式を描いたもの。猛烈な勢いで駆ける馬の躍動感が全面に出た作品。

中央の騎馬像に焦点を当て、他の馬や背景はややぼやけるように描かれているのが、写真のピントのようで面白い。

アントワン・イグナス・メリング「貴族のハーレム内部」1819年

ハーレム内部を想像で描いた版画作品。作者のメリングはオスマン帝国のハーレムを含む宮殿を設計したこともあったが、実際にそれが使用されているところを見たことは一度もなかった。この絵は想像の産物ということになるが、建物の作りは全くの想像というわけでもないのだろう。

「メリングはイスタンブール人(イスタンブールは現在のトルコ最大の都市)のように街を見ていたが、鋭い目を持つ西洋人としてそれを描いている」という評価もあるように、これはやはりウエストナイズドされたものなのかもしれない。

個人的には、私のハーレムのイメージは王や貴族が玉座や寝室で多くの女性に囲まれているというものだったので、こんなアパートのような感じになっているものとは思っていなかった。ここに男性が来るようになっているのだろうか。見れば見るほど、謎が深まっていくのである。


「西洋の目から見た東方文化」を見られるのは、やはりイギリスという西洋の国ならではだろう。この他にも、見ごたえのある作品が多かったので、文化の交流に興味がある人には大変おすすめできる。

余談だが、この展示ではマレーシアのイスラミックアートミュージアムからの貸し出し品が大変多く、一度尋ねてみたくなった。


大英博物館「Inspired by the east: how the Islamic world influenced western art

住所:Great Russell St, Bloomsbury, London WC1B 3DG

入場料:大人14ポンド、16歳以下無料

その他、大英博物館の展示紹介レポはこちらから。

2019年11月3日大英博物館, ◆ミュージアムの展覧会

Posted by Sara