イギリスの作家、オスカー・ワイルド(1854〜1900年)の有名な言葉に、こんなものがある。
「自然は芸術を模倣する」
これは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉、「芸術は自然を模倣する」へのアンチテーゼで、アンチミメーシスとも呼ばれる。
この考え方は、私が美術において好きな耽美主義(唯美主義)やデカダンス(退廃主義)の思想に関わってくるものだ。
私は哲学の専門家ではないが、このアンチミメーシスについて、学んできたことや調べたことを備忘録代わりに書いていきたい。また、この思想と絡んだデカダンスについても少し触れていく。
アリストテレスの「芸術は自然を模倣する」
アリストテレスの言葉は、師であるプラトンが提唱したイデア論に由来する。
プラトンの「イデア」
プラトンの唱えたイデア論とは、ものすごく大まかに言えば、以下のようなものである。
- 物には「イデア」という目に見えない「真の姿」「完全な姿」「理想の姿」がある(このイデアは現実世界とは異なる高次元な場所にあるらしい)。
- 我々が目で見るこの世界の物は、そのイデアを模倣したものである。
- とすると、この世のものを表現した美術や文学は「模倣の模倣」になってしまう。そのため、プラトンは美術や文学がイデアから遠いものとして否定的だった。
この「イデアの模倣」はミメーシス(ギリシャ語で「模倣」という意味)と呼ばれた。
アリストテレスの芸術論
アリストテレスはこのミメーシスの考えを継承しつつ、自分なりのイデアに対する考え方を発展させた。彼は、ミメーシス(模倣)こそ人間の創作活動の源であり、芸術は自然の模倣であると考えた。
そして、プラトンとは異なる、ミメーシスと芸術の関係について提唱した。
- 模倣(芸術)が、実物(=自然、我々がこの世で見ている物)を超えることがある。模倣は、現実をそのまま真似するだけではなく、現実を超えた美をもたらすことがある。
つまり、アリストテレスは師のプラトンとは対象的に、芸術に対してポジティブな捉え方をしていた。プラトンにとっては模倣の模倣であったはずのもの(芸術)は、この世のものを超えてイデアに近づく場合があると考えたのだ。
こうした背景があり、「芸術は自然を模倣する」という言葉が生まれた。このミメーシスという考え方は、その後の西洋の芸術論に受け継がれた。
アンチミメーシス
このアリストテレスの言葉に反発するように生み出されたのが、19世紀デカダン派の代表的な作家ワイルドの言葉である。
ワイルドは評論「嘘の衰退」で「Life imitates Art far more than Art imitates Life(芸術が人生を模倣するよりも、人生が芸術を模倣する)(……)It follows, as a corollary from this, that external Nature also imitates Art.(このことから当然、外界の自然もまた芸術を模倣している)」と書いている。
さらに、「自然が我々に見せるものは、我々がすでに絵画や詩で見たことのあるものだけだ。それが自然の魅力であり、また弱さの説明でもある」と続く。
つまりワイルドは、人生や自然界の中にあるものは、現実ではなく芸術により初めて見いだされる、我々のものの見方は芸術に影響されるとした。
例えば、ロンドンの空は何世紀も霧がかったものであったが、霧を美しいと思った人はいなかった。画家が美しい霧を描いたことで、人々は初めてその美しさに気づく……というようなことである。「絵のように美しい景色」という今ではよく聞く言葉も、この考えに近いものであると言えるかもしれない。
ここには、芸術至上主義の考え方が表れている。「芸術は現実を超えるものである」という点はアリストテレスの考え方と一見似ているようにも思えるが、この芸術至上主義は「芸術こそが自然に美を与えるものだ」という自然や人生に対する芸術の強い優位性を示すものだ。つまり芸術>>現実(自然)なのである。これは耽美主義(唯美主義)の「美こそが最高の価値」という思想にもつながる。
こうした考えはワイルドだけのものではなく、ワイルドの生きた1800年代後半の西洋に出てきた思想の1つであった。
当時の急速な科学技術の発展と社会の変化は、多くの人々に「現在の文明はピークに達しており今に崩れるのではないか」という恐れを抱かせた。そうした社会的な不安とアンチミメーシス、耽美主義が影響しあい、19世紀末にはデカダンス(退廃主義)という芸術のムーブメントも生まれた。
デカダンス
デカダンスという言葉は18世紀からあり、もともとは18世紀末〜19世紀前半に流行したロマン主義への蔑称として使われた。
ロマン主義は、その前時代の理性主義や合理主義に反発した「もっと感性や叙情を大切にしよう」という文学、美術、音楽などにおけるムーブメントである(その後、このロマン主義の反動で写実主義が生まれる。美術史は反動、反動の繰り返しなのだ)。
科学が一気に発展し、社会が進歩し続ける19世紀末に興った「デカダンス」は、むしろロマン主義を誇ってこの名を掲げた。
当時の進歩社会に反発するような形で表れたデカダンスは、耽美主義やアンチミメーシスといった思想と絡み合い、現実を抜け出した創作物の世界、いわば空想の世界にどっぷりと浸るような世界観を生み出した。こうした主義の中にいた美術家たちの作品は、過度に装飾的だったり、古典文学や神話をモチーフとしていたり、時に悲劇的、センセーショナルであったりした。
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コメント
端的で分かりやすい解説をありがとうございます。
大変参考になりました!
初めてコメントいたします。(日本に住んでおり、日本から書いています。)
どの記事もとてもわかりやすく、長いコロナ禍で美術館や海外旅行に気軽に行けない中、大変心に潤いを与えて頂きました。記事の発信に感謝いたします。
※また私は大学の卒業論文でまさにオスカーワイルドのサロメ(原文)を取り扱いました。
当時、耽美主義、ビアズリー、美について数多の勉学・情報収集・思考していた日々を鮮やかに思い出しました。
当時(2013年)はとりわけこのテーマでの日本語での文献や論文は非常に少なかった記憶があり(私の探し方や蔵書具合によったのかもしれませんが)、月日を経て、塚田さんのこの一連の記事に巡り合えたこととても嬉しく感じ、思わずコメントしてしまいました。
記事の配信、楽しみにしています!日本からエールを送っています
嬉しいコメントをありがとうございます!サロメについての論文を書かれたのですね。私よりずっと専門的に知っていらっしゃると思いますが、ブログを楽しめていただけたとのことで、ありがたいです。ビアズリーの認知度が上がってきたのは本当に最近ですよね。
今後もマイペースな更新とはなりますが、イギリスのアートに関する記事を書き続けていきますので、お時間のある時に覗いていただけたら幸いです。