Museum of London(ロンドン博物館)の展示をもとに、ロンドンの歴史を物語のように解説するシリーズ。ロンドン史第2弾。
いちばん初めの第1弾はこちら。
このシリーズの目次はこちら。
前回に引き続き、今回は古代ローマ人が現在のロンドンの地域に住んでいた時の文化について、特に衛生観、医学と(キリスト教以外の)宗教を紹介したい。
古代ローマ人が今のロンドンであるテムズ川沿いの地域につけた名前は「ロンディニウム」。ロンドンの語源となった言葉だ。
古代ロンドンの文化④:ローマ人による3つの階級制度
ここで少しだけ、古代ローマの階級制度について触れておこう。
階級には、奴隷、解放奴隷(条件を満たして奴隷から自由になった身。市民のような権利はないため、市民とは区別される)、ローマ市民の3種類があった。またローマ人は外国人、つまり属州の現地人に市民権を与えることもあった。
医者や教師は奴隷の職業だった
市民と解放奴隷には兵役の義務が課せられ、また奴隷にはさまざまな職業が割り当てられた。
奴隷はいわゆる農場や家政婦、剣闘士などの仕事だけでなく、教師、医師、秘書など高度な専門職も担った。これには驚きである。また下級役人も奴隷の仕事であるというから、私たちが想像する奴隷とはかなり異なるイメージのものであることがうかがえる。
ただ、奴隷は主人の所有物であり、法的権利を持たなかったというから、人権的にないがしろにされる立場であったことは間違いない。
古代ロンドンの文化⑤:現代と変わらない衛生観念
ローマ人は、清潔な体と水が健康に良いということを知っており、ブリタニアの人々(ケルト人)にもその概念を導入させた。
彼らはすでに、良い香りのするボディオイル、ネイルクリーナー、耳かき、ピンセット、かみそりなどのお手入れセットを個人で持っており、日常的に使用していたのだ。
画像は当時のピンセットや耳かきである。ピンセットが今と全く同じ形をしていることに、私は感動した。古代ローマ人もこれで毛を抜いたり、刺さった棘を抜いたりしていたんだろうか。
飲料水は、はしごを使わなければならないほど深い井戸からくみ上げていた。だが人力ではなく、水道管で給水されており、汚い水を綺麗にする浄水作用まで持っていたという。
そして、一部の家では水洗トイレ、個人浴槽まで持っていたのである。そうでない人たちはバケツや壺などをトイレ代わりにしていたようである。
古代ローマ文化ではすでに専門医の区別があった
この頃には、すでに病気によってかかる医者の区別があり、特に外科医とそれ以外を診る医者では、外科医の方がよりランクが上の職業と見られていたという。しかし、上でも書いたように、奴隷がこの役割をしていたというのだから、不思議な感じである。
特に目の病気はよくあるものだったようで、眼科医がオリジナルの調合をした軟膏を処方しているのが記録に残されている。
古代ロンドンの文化⑥:儀式と宗教
キリスト教が入ってくる以前のローマ人は、ローマ神話に出てくる神々を信仰していた。ユピテルやビーナス、アポロなど数多くの神々を奉る多神教である。だが、ローマ人はブリタニアの土着信仰も受け入れ、ローマの宗教とブリタニアの宗教は徐々に混合していった。
呪いを書いた板
ブリタニアの神殿では、神に願い事をしたり、悪いことが起きた時に神をなだめるために、動物や鳥、その他の用品を供え物として捧げた。時には新しい祭壇を捧げることもあったという。
願い事は、祈りの言葉の中、またはこのような金属板(鉛板)に書かれた。その中には呪いの願い事も多かったらしく、画像の鉛板には「〇〇(個人名)が呪われますように」「罰がくだりますように」といったような文言が彫られている。
建物の下に供え物を埋める習慣
新しい建物を建てる時、その地下にお供え物を埋めると良運が舞い込むと信じられており、動物や鳥類、また食べ物や飲み物を壺に入れて埋めたという。
この壺はそのために使われていたわけではないようで、はっきりとした用途はわかっていない。おそらく儀式に使われていたのでは? ということだが、顔がつけられているのがなんともユーモラスである。
ちゃんと耳まで彫ってあるところにこだわりを感じる。一番左のものは髭まで生やしている。
こちらの頭蓋骨は、川の中から発見されたもの。おそらく、ある儀式で川に頭蓋骨を投げ入れる習慣があり、その練習のために使われたものでないかと見られている。
数体の人物像は、キリスト教ではなく他の宗教の神々を彫ったもの。キリスト教がローマ人に伝達されるのはもっと後のことだ。
古代ロンドンの文化⑦:東方からロンドンにやってきた異国の神
ローマ神話でもなく、ブリタニアの土着信仰でもない第3の宗教勢力は、異国のものであった。
多くの商人や兵士、船乗りが行き来していたロンドンには、彼らによって東方の宗教も伝えられた。
ミトラ(インド・イランから)やキュベレー(トルコの東側から)、イシス(エジプトから)といった異国の神々は、エキゾチックでミステリアスな存在として、ローマ神話よりも人気が高まったという。
また、キリスト教も1世紀のうちにローマ帝国内に入ってきていたが、まだそこまで深くは浸透していなかった。この時代は、ローマ神話の神々を奉る宗教、ブリタニアの土着信仰、キリスト教、その他異国の宗教とさまざまな宗教が入り乱れた時代だったのである。
ロンドンでは、これら異宗教を奉る「秘密結社」のようなものができたという。フリーメイソンにしろ何にしろ、イギリスはもともと秘密結社が好きなのかもしれない。
ミトラ神を奉るミトラ教
異国の宗教として人気となったものの1つにミトラ教がある。ミトラ教は当時のイラン、トルコで信仰され、また古代ペルシャで興ったゾロアスター教にも取り入れられるなど、幅広く世界で広まった宗教であった。
古代ローマでは、太陽神と同一視されて広まったのであった。
ハンサムな青年として表されるミトラ神は、フリギア(現在のトルコにあった王国)風の帽子をかぶっている。本来はこの頭の下に違う素材で作られた体があり、全体としては雄牛を殺している場面として作られていた。この上向きの目線は、牛を殺している手元を見ないようにしているのだという。
もともとは神殿に置かれていた彫像だということだ。
4世紀にはキリスト教が正式な宗教に
キリスト教が全盛になり、ローマ帝国の正式な宗教として定められたのが312年。314年にロンドンのキリスト教司教が公会議に出た記録が残っており、ロンドンにはそれまでにすでにキリスト教のコミュニティが形成されていたとみられる。
これを期に、異国の宗教はローマ帝国からは徐々に衰退していった。
ミトラ教とキリスト教の関係
ミトラ教の教えは、一神教、善悪二元論、終末思想であり、また古代ローマでは12月25日にミトラ教の祭典が行われていた。キリスト教と共通する要素が多々あり、同時代にローマで広まったことから、お互いに影響しあっていた可能性は高いだろう。
ただ他の宗教でも同様の性質を持つものは多数あるため、古代ローマで入り乱れたさまざまな宗教観が、キリスト教を受け入れる土壌を作ったのかもしれない。何にせよ、これ以降イギリスではキリスト教一強の時代が始まり、現代にいたるのである。
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この後、400年代初頭には、ローマ人はブリタニアから撤退してしまう。そして新しい民族、アングロ・サクソンがイギリスに到達し、暗黒時代とも呼ばれる中世の時代が始まるのである。
ロンドンの中世については次の記事で紹介したい。
Museum of London
住所:150 London Wall, London EC2Y 5HN
入場無料
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