大英博物館は、古今東西世界中の品物が集まっているが、日本セクションももちろんある。「アジア」に埋没せず、「日本」と展示室をわけてくれているのは嬉しい。
実はあまり知られていないのではないだろうか、と思ったので、今回は大英博物館日本展示室の見どころを紹介していくよ! この記事では宗教からスタート。
※展示されている解説を和訳+自己リサーチして紹介。
5階にひっそりとある「日本」展示室
5階へ向かう途中の階段の踊り場には書の作品が展示されている。
ここが入口。
展示室に入ると、日本の簡単な歴史と地理を学べる説明書きがある。
宗教
宗教については、仏教、神道だけではなく、密教、禅までちゃんと説明がある。日本人でもここで勉強できることがたくさん。
仏教
仏教のことは、解説パネルによるとこう説明されている(翻訳済)。
「仏教とは、(日本の)伝統的な思考、信仰である。すべての生きとし生けるものは苦しんでおり、その原因は欲望である。仏教の目的とは輪廻から抜け、全ての欲望を捨てることである。
『悟った』仏教徒は、解脱するか、非実在となった状態である。これらはインドの王子であり、悟りを開いて『仏陀』または『目覚めた人』となったゴータマ・シッダールタ(紀元前565~486年)の教えである。仏教は紀元500年ごろに、中国、朝鮮から日本へ伝わり、こんにち日本人の生活を支える大変重要なものとなっている」
うーむ、簡潔かつ完璧な解説である。
百済観音立像模造 新納 忠之介 1930年頃 木造
これは法隆寺にある国宝の百済観音のレプリカ。もとの百済観音は、中国、朝鮮を渡って仏教が日本にわたってきてからすぐの7世紀前半に作られた。百済は昔の朝鮮の呼び名の1つ。
この像はレプリカとはいえ、大変よく出来た秀作として高い評価を受けている。東京国立博物館にももう1つ同じ作者の百済観音の模造が所蔵されている。
銅の冠をかぶり、水瓶を手にしている。2メートル以上ある大きな彫像だが、全体的に流線形に彫られており、優美な佇まいであるのが特徴。
文殊菩薩 康祐 17世紀
仏陀の智恵を表している文殊菩薩。手にしている剣で「無知」を切り、乗っている獅子の声は仏の教えを響かせるという。
後光明天皇の治世(1633~54年)に、儀式のために制作された作品。
等活地獄図 1800年代
地獄にもいろいろ種類があって、「等活地獄」とは殺生の罪を犯したものが落とされる地獄。この等活地獄の中にも16の小地獄があって、刀を使っての殺生、動物を殺して食べた殺生など、罪状によって行く場所が変わる。
この絵の中にもさまざまな拷問が描かれている。刺されたり切られたり、焼かれたり煮られたり。鬼がちょっと料理してるっぽい絵なのが面白い。
密教(タントラ仏教)
密教の説明までちゃんとされているので驚いた。
「密教とはいわゆる‟秘儀の”仏教であり、哲学よりも複雑な儀式を重んじる。初期の密教者は皇族や貴族から庇護を受けていた。(……)密教には3つの『謎』がある。マントラ(真言)、印相(仏様が手で作る何かを意味する形)、超現実的な思想の視覚化である」
謎の1つ、「超現実的な思想の視覚化」とは曼荼羅のことではないだろうか。
参考画像↓
仏の世界観を表した図だけど、明らかに異質だもんね。ある種のドラッグをやった時に見えるらしいサイケデリックな世界にも似ている気がする(私はやったことないよ!)。色の使い方とか密度とか。
不動明王立像 1100年代 木像
密教の仏の化身とされる不動明王。大日如来の化身とも言われる。
この木像はもともとは体が青に塗られていたとか。後ろの火焔は後世に付け加えられたもの。
動きのある綺麗な火焔と、堂々たる立ち姿に惹かれた。木像だけれどまるで銅像のようにも見えるほど、どっしりした存在感がある。
密教の道具
密教の儀式で使われる法具。左から、法具を入れる箱、鈷杵(こしょ)、鈷鈴(これい)、輪宝(りんぽう)。
箱は仏が乗る花である蓮の花が描かれている。
道具の使い方は密教の秘儀であるから、修行を積まないと学べないのだそうだ。
これらの道具は物理的な世界とその外の世界をつなぐものだという。物理的な世界=この世で、外の世界=仏がいる霊的世界かな? うーんスピリチュアルになってきた……。
禅
「仏教の中の禅は元は中国で生まれ、1200年代初期に日本で盛んとなった。真理に到達するために瞑想と禅問答を行い修行するものである。日本文化、特に庭園や寺のデザインなどに大きな影響を与えた。京都の武家は禅を政治的に利用し、また禅から生まれた芸術や文化を保護するパトロンであった。」
茶の心
茶道は禅の典型的な文化だ。ここでもお茶の道具が展示されていた。
なんとこの展示室には、茶室の再現まであるのだ。
その名も「和英庵」。日本とイギリスをつなぐものとしてつけられたらしい。
1990年にこの日本展示室がオープンした時に京都の「茶道裏千家淡交会」の協力で作ったらしい。ちゃんと京都の職人さんが来て建てたそうだよ。
これは日本展示室でも人気のもの。いつも欧米人が引き寄せられていく。
昔オーストラリアにホームステイした時に、そこの家の17歳くらいのお兄さんが「将来こんな家を作りたいんだ」と雑誌か何か見せてくれたんだけど、その写真が畳に障子に和紙の照明に、上から折り鶴の飾りがぶら下がっていて、外には和風庭園がある、茶室インスパイアみたいな家だった。
きっと、日本人とはまた違った感じで欧米人に呼びかける何かを茶室は持っているんだろう。
飛雁図 1500年代
雁が仲間を探しながら蓮池を飛んでいる、もう一羽はその雁を見上げているように見える。静けさを感じさせる絵だ。
私は水墨画、中でも鳥を描いたものが好きだ。墨しか使っていないのに、その羽の1つ1つを、墨の濃淡で見事に描き分けている。この技術にいつも感激させられるからだ。墨だけなのに、たまにカラフルと言っていいほど色が違って見える。
水墨画では、「モノクロームの中にカラフルを感じる」という不思議な体験ができるのだ。
雁は当時、京都の禅宗絵画で人気のモチーフだったという。蓮池は仏様のシンボル。
神道
仏教だけでなくて、もう1つ、きちんと「神道」も説明してくれているので嬉しくなった。
解説に、「仏教と神道は日本では平和的に共存しており、日本人の多くがどちらも信じている」とある。
一神教の国からすると、2つの宗教が同時に平等に信じられているのは変な感じがするのかもしれない。
神楽面 1500年代
仏には性別がないが、神には性別がある。右が男性で左が女性の神の像だ。地元の神社で神楽舞の行事で使われたとされる。
日本では、天皇など徳の高い家系の先祖は神と結び付けられていることが多いが、このお面は飛鳥時代、推古天皇の時代にいた秦 河勝という人物の先祖とされているという。
秦河勝は朝鮮から来た渡来人とされていて、秦の始皇帝にルーツを持つという(ほんとかよ……)。
三十番神厨子 1600年代
30人の番神が祀られた厨子。毎日交代で国や人を守る神様たちのこと。月に30日なので30人らしい。
ちなみに31日の月は、外から他の神様をヘルプで連れてくることもあるとかなんとか。意外とちゃんとしてる。
1人1人名前が書いてあるのは、この神様たちが日本全国の有名な神社から来ているから。諏訪大社とか、八坂神社とかね。
と思ったら、最後の段の、狛犬と一緒にいる人……! 30人から明らかに外れているこの2人を入れると32人になっちゃうんだけど、どちらさまですか……?
解説もなかったし、名札にうっすら読める「豊岩間戸」という神様を検索してみると、実在(?)の神様だが、なぜここにいるのか由来はわからなかった。謎のままである。
大黒天像 1700〜1900年
2頭身の可愛い大黒様。七福神のうちの一人で、農業や商業の神。黒い肌と金ピカの衣装のコントラストがユニーク。
日本でのキリスト教
1540年代にはじめてヨーロッパ人が日本に上陸してから、宣教師たちがキリスト教を広めようとした。
西洋は、キリスト教を日本征服に使う道具にしようとしたのだ。幕府はこれに気づき、キリスト教を禁止した。
キリシタン禁令高札 1682年
1500年代の終わりには、日本には30万人のキリシタンがいたとされる。
幕府は1614年からキリスト教を廃止した。この看板には、信者や宣教師を見つけたら教えること、その際には懸賞金を支払うと書いてある。
2017年2月現在、スコセッシの新作映画「サイレンス」が上映している。原作を読んで、映画も見に行ったが、強烈に考えさせられたので、その熱が冷めないうちに(主に原作の)レビューを書いた。よろしければどうぞ。
花鳥蒔絵螺鈿聖龕と花柑橘蒔絵螺鈿洋櫃 1600年代
キリスト教の儀式で使われた道具。
左のパネルのようなものは、聖母子などキリスト教の絵画を入れて持ち運んだもの。右の箱は、形は典型的な西洋風だが、日本が当時西洋に輸出していた螺鈿で装飾されている。
こうした道具は、キリシタン迫害でほとんどが壊されたので、こうして残っているのはとても貴重。
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さて、次の記事ではこの日本展示室で日本の古代文化や芸術がどう紹介されているかを見ていくよ! 以下からどうぞ。
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