人生の糧にする美術展の見方は、思い切って「飛ばし見」すること

アート情報・考察
スポンサーリンク

私は美術館や博物館が好きだ。ミュージアミストである。造語です。

どれくらい好きかというと、無料の美術館・博物館を見まくりたいがためにイギリスに移住してしまったくらいである(半分冗談で半分本気)。

スポンサーリンク

効率的な展示の回り方とは

もともと日本でもずっと美術業界をうろうろしていたこともあって、私の人生でかなりの時間を美術館とか博物館の中で過ごしているのだが、さすがに数をこなしてくると、「展示の回り方」が自分の中で確立されてくる。

より多くのものを見たい、という好奇心もあるが、展示から「より多くのものを得たい」という欲望も強い。

面白いものや美しいものを発見して、見たものを吸収して、好奇心を満たすこと。それが私の美術館・博物館に行く目的だ。

そのために必要なことはただ1つ。

積極的に「飛ばし見」すること

である。

そもそも全部集中して見れるわけない

1つの展示に行けば、何百という作品が並んでいる。大英博物館に行ったら常設だけで8万点。ちなみにこれは所蔵作品数の1%にも満たないらしい。化け物である。

大英博物館でなくとも、展示を全部全力でなんて見られるわけないのだ。

もしあなたがある展示に行って、そこにある作品を余すことなく見ているとしたら、それは浪費である。感性の浪費である。もったいない。

次から次へと頭に残らないようなスピードで全部の作品を見るくらいなら、面白いものを数点見つけてそれをじっくり見るほうがよほどいい。心にも記憶にも残り、学ぶこともあるだろう。

私が展示を見る時に気を付けているポイント7つ

上記の、「飛ばし見」を原則として、私が普段展示を見る時に心がけていることをまとめてみた。

第一印象で見るものを決める

展示室に入る。ざっと見回す。この時点で見るものがだいたい決まる。

一目で惹きつけられるもの、これが一番最初に作品を通じて感じる「ナマの感覚」である。

最初から「衝撃を受けるほど大好き」になる作品はなかなかない。何十点、何百点あるうちのほんの一部。もしかしたらゼロかもしれない。それが入った展示で見つかったらあなたは超ラッキーである。
そして本当に「ビビビ」な作品に巡り合えるのは、人生のうち数回であると私は思っている。

でも、「面白い」とか「あれなんだろ」「わーすごい!」と思う作品は割とどこにでも転がっている。転がっているという言い方はあまりよくないが、よく出会うことができる。展示室では第一印象でそういう作品を探す。

興味のないものは無理に見ない

第一印象で興味をそそられないものは、勇気をもって飛ばす。

そういうものは見に行ってもたいてい、10秒くらいで通り過ぎて記憶から抹消されるのがオチだ。なら別に無理に見に行かなくてもいいのではないか。「飛ばす勇気」が必要だ。

私は一見して「特に面白くないなあ」と思ったら、下手したら部屋ごと飛ばすこともある。
私は好きなものを見るのに忙しいのである。

もちろんそんな部屋でも発見はある。後述するが、「見てみたら意外と面白かった」とか、「こんな風に展示するのか」などキュレーションの巧みさに驚くこともあるからだ。

だが基本は、心がそそられないものは飛ばしてしまう。

自分の感覚を大事にする

好きなものは好きでいいし、嫌いなものは嫌いでいい。

研究や調査や仕事なら別だが、趣味で見る分には、「見なきゃいけない作品」なんてないし、「無視するべき作品」もない。

有名だからこの人の作品を見る、より、好きだから見る、の方がずっといい。美術史的に重要でも、どんなに有名でも、興味がなければ私も素通りする。

そして、興味のあるものは、心ゆくまで味わう。自分の好きな方法で、好きな時間、たっぷり楽しむ。ひたすら眺めたり、想像を膨らませてみたり、些細なポイントを気にしてみたり、作者の人生や見方に思いを馳せたり、歴史と照らし合わせてみたり。

ただぼーっと見ているだけで快い作品、というものもある。

キャプションは読む

キャプション(解説パネル)はその作品の説明をぎゅっと凝縮させたものだけれど、理解を深めてくれ、意外な発見を与えてくれたりする。トリビアのようで面白いのだ。

そして解説を読んで興味を持ち、「どれどれ」と飛ばした作品を見に行ったりもする。

熱心に解説を読んだり、作品について考えたりしていると、結構エネルギーを使う。展示を見終わった頃には結構疲れている。

面白いものを知ることができた、という充実感を伴った疲れである。

1日1-2展にとどめる

「展示のはしご」は危険である。気をつけていても、疲れてしまうからだ。

今日は美術館デーにするぞ~! なんて意気込んだ日には、一気にいくつもの展示を回りたくなってしまうが、ストップをかけるようにしておく。というか、2展目を終えた時点でそんなエネルギーはすでにしぼんでいる。

そんな状態で無理をおしてもう1つ、と展示を見に行くとどうなるか。集中力は薄れ、記憶力も薄れ、情熱も薄れる。少なくとも私の場合は。

感性のアンテナも鈍る。結局楽しめないので、「多すぎる展示のはしご」はしないようにしている。

水分補給をする

はしご禁止ルールとつながるのだが、「体のコンディション」には気を使う。

体が不調だと、感性も鈍るし、普通に辛いからだ。

特にじっくり作品を見ていると必ず水分不足になる。
展示室内は飲食禁止のところが多いので、展示室に入る前に水分をとっておくか、ちょっと面倒だが展示室を出て水を飲む。もちろん展示を見終わった後も飲む。

なんだそりゃ、と言われそうだが、これをしないのとするので気分というか、体調が違うのだ。

展示を見に行く時は、ペットボトルを1本携帯しておこう。

余裕があったら興味なかったものもちらっと見る

好きなものを見るだけでも結構疲れて、これをできることはほぼないのだが、一応。

展示室を出る前に、まだ何か見たいな、とかあれ見ておけばよかったかな、と思ったら戻って見に行く。

「好きじゃないかも」と思っても、見てみたら意外な発見があったり、面白かったりして「残り物には福がある」を体験できることもあるからだ。

好きなものを優先してから、そうでないものに目を向けるのもいいかもしれない。

自分が満足できるのが一番大切

と、いろいろ書いたけれど、自分がリラックスして満足できる見方が一番。

展示の回り方には「~せねばならない」なんてない。完全に自由だ。誰も方法を強要しない。

でももし、「全部見なきゃ!」と毎回忙しく展示を見回って疲れや物足りなさを感じている人は、ここで書いたことを試してみると、もっと楽しく、楽に展示を見られるようになるかもしれない。

よい美術館・博物館ライフを! 

異文化から目を反らすのは精神的な自殺である、という話。
異文化から目をそむけるのは、芸術面だけでなく、精神的な自殺行為です。 産経新聞の「話の肖像画」というコラムを読んでいて、この言葉を見つけた。アメリカの映画監督マーティン・スコセッシのインタビュー。スコセッシの最新作「沈黙—サイレンス—」は...
「本物を見る」ことが人生でいかに大事であるかという話
「本物を見る」ことの大切さを、経験を重ねるほど実感する。 本物、とは「実物」「オリジナル」などの意味だと思ってもらえばいい。 実物と複製品は違う この世のすべてのものに当てはまるわけではないかもしれないが、目の前にある実体、実物か...

コメント