イギリスの歴史上、一番耽美なストーリーと言えば、レディ・ゴディバ(英語の発音ではレディ・ゴダイヴァ)がまず思い浮かぶ。
高級チョコレートブランド「ゴディバ」の由来ともなった女性だ。ここでは、レディ・ゴディバについて、様々な美術作品から見ていこう。
レディ・ゴディバ伝説とは
この伝説は、ハートフォードシャーの聖オルバンズ大聖堂の2人の修道士によってラテン語で記されたのが始まりだ。
場面は900年前のイギリス・コヴェントリー。領主レオフリックの妻であったゴディバ夫人は、慎み深く、慈愛に満ちた女性だった。一方、レオフリックは横暴な政治を行い、領民に重税を課し、教会も自分の手中に治めていた。
ある時、ゴディバ夫人は夫に重税を止めるよう懇願したが、レオフリックは「裸になり、馬に乗ってコヴェントリーの街を歩けたら考え直してやろう」と貴族の婦人にはとうてい無理な難題を持ち掛けた。慎ましやかな夫人がそんなことはするわけないと踏んだのだ。
だがゴディバ夫人は、恥をしのんで領民のためにそれを決行した。一糸纏わぬ姿になり、長い金髪を体に垂らし、馬に乗って、街中を回ったのだった。
領民はその気遣いに深く感動し、夫人を見ないように家の窓を閉めた。レオフリックは夫人が誰からも目撃されなかったことに心を動かされ、税を取りやめ教会からも離れることにした。
レオフリックとゴディバ夫人はその後、コヴェントリーにベネディクト派修道院を建て、亡くなった後そこに埋葬されたという。残念ながらこの修道院は現在は残っていない。
恥じらいと慎みから生まれるエロス
この伝説が人々の心をつかんだポイントは、「慎み深い」夫人が他人のために裸で街を歩いたという点にある。誰も見なかった裸の夫人は、人々の中で聖なるエロスを象徴する姿となった。
誰も見ていないからこそ、豊かな想像が生まれ、多くの芸術家が美しきレディ・ゴディバ像を生み出した。
上のジュール・ジョゼフ・ルフェーブルの作品は、自分の身体を隠そうとする夫人の様子を描き出している。静かな通りで、馬の蹄の音だけがコツ、コツ、と響くのが今にも伝わってきそうだ。
「馬と乙女」の組み合わせも、西洋ではキリスト教美術でよく見られるものだ。一角の馬、ユニコーンは処女にしか懐かないと言われる。純潔な乙女を連れてユニコーンをおびき寄せる場面はよくあるモチーフの1つである。
状況は違うものの、その聖性をレディ・ゴディバ伝説に重ねた人もいただろう。エロスと聖が組み合わさったこの伝説は、芸術家にとっては格好の題材に違いない。
ご覧の通り、夫人が乗る馬は白い馬として描かれていることが多い。白い馬は昔から世界中で聖なる動物とされ、特別視されてきた。貴族も白馬を気品ある動物として好んだ。気高い夫人の乗る馬は、当然白馬であろうという価値観が見て取れる。
このジョーンズの作品では、人々が夫人を慕って集う様子は、まるで宗教画のような趣もある。
彼女の長い金髪が体を覆い、顔と脚だけが見える状態であるとする説や、下着は身に着けていたとされる説など、「裸」の状態には諸説あるそうだが、私は裸に髪だけの方がエロティックであると思う。
レディ・ゴディバの自己犠牲の姿勢と、恥じらう気持ちの葛藤が、触れてはいけないような「禁忌的な美しさ」をこの伝説に加えている。人は見てはいけない、暴いてはいけない、と言われるとますます気になるものだ。
あとから付け加えられた脚色
17世紀ごろまでに、上記のオリジナルに変更されたり追加された箇所がいくつかある。
覗き見した唯一の人物「ピーピング・トム」
実は、我慢できずに夫人を覗き見た者が1人いた。
仕立て屋の男で、「ピーピング・トム」と呼ばれたことから、英語では「ピーピング・トム」という語がそのまま「覗き魔」という意味となった。
領民には「家に籠もれ」とお達しがあった?
ゴディバ夫人が馬に乗る前に、街中に「家の中に籠もって窓を閉めろ」という通知が夫人から前もってあったというものだ。
領民たちはレオフリックを嫌っていた一方、ゴディバ夫人を大層慕っていたので、彼女の「英雄的な行動」に感謝し、言われたとおりに家に籠っていたという(ピーピング・トムを除いて)。
ちなみに「この一連の伝説は史実ではない」という説が歴史家の中で強いようだが、そこは伝説だもの、本当であろうがなかろうが、美しいものを信じていたい。
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