今まで美術に関わってきたり作品を見てきて、自分の中で固まってきた考え方がある。
「美とは何か?」と問われた時に、突き詰めれば「生と死そのもの」と今の自分なら答える。
愛と悲しみ、エロスとタナトス、呼び方は何だっていいけれど、生を感じさせるもの、死を感じさせるものは美しい。
生と死は表裏一体で、本当は区別する必要もないんだけど。死は生を引き立てるためにあるのだと思う。
生のエネルギーに分類されるもの:光、愛、激情、感情、生々しさ、肉体、生き物、呼吸、エロス、自然、などなど。
生を引き立てるもの(死のエネルギー):闇、骨、死体、虚無感、苦悩、衰退、廃墟などなど。
こうした要素があるものを、私は美しいと感じるのだと気づいた。
例えば、私がロンドン・ナショナル・ギャラリーで一番好きな作品、ブロンツィーノの「愛の寓意」。
この作品は妖艶さと不気味さに満ちている。寓意画という計算されたモチーフと構図の冷静さを凌駕するほどの生のエネルギーに、私は強烈に惹かれた。エロスという生の要素が感性を直撃したからだ。
私の好きな伊藤若冲もそう。彼の作品には、動物という生のモチーフだけでなく、彼の目が、制作に対する執着が、生のエネルギーがこもっている。
生き物はただそのままで美しい。人間もだ。彼らや私たちは今を懸命に生きているし、その後に皆かならず死んでいく。これほど儚くて美しいことがあるだろうか。だから私は生き物の体や標本が見られる場所も大好きだ。
ずっとずっと、「自分にとって美とは何だろうか?」と考えてきて、ストン、と現在腑に落ちた答えがこれだった。これからこの考えも変わっていくかもしれない。いやおそらく変わるだろう。人間は変わっていくものだし。
私はこれからもずっと、美しいものが満ちたこの世界で美しいものを見て生きていきたい。
ブロンツィーノ「愛の寓意」の詳細な読み解きについては以下の記事からどうぞ。
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